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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

書評「円卓」西加奈子

西加奈子の短編小説、主人公の”こっこ”こと渦原琴子は小学校の3年生、とても個性的な少女である。友人のぽっさんも老人くさいところがあるが個性的であり二人はとてもとても魅力的なのだ。何が魅力的かというと、すでに自分達大人が通りすぎ、忘れ去ろうとしている日常がここにはリアルに現れており、そして、確かに自分のその時代にごく普通にいた友だちがこっこでありぽっさんであるのだ。自分が忘れかけている懐かしくてかけがえがなくて、もういちどそこへ戻りたいとおもう世界がここにある。
円卓

子供が主人公の小説を読むといつも残りのページが少なくなるに従い残念で寂しくなる。それとともに現実にひきもどされていく。それが残念だった。湯本加寿美の「ポプラの秋」や「夏の庭」などがそうである。映画”つぐみ”もだ。二度とは戻って来ない世界であるがゆえにとてもいとおしく、その頃に思いを馳せると胸締め付けられる感情が帰ってくる。
もっとも、この小説のなかのこっこもそうだが、その渦中にあればそんな事など思う時間も機会もましてや成長も無いものなのだけれども。後になって当時を懐かしむ、今の私のような立場ではじめてその頃のそんな感覚をいとおしみ、懐かしく思い出す事ができるものなのだから。
もうひとつ言えば、そのような感情が心のなかから起こってくるということが成長のひとつの兆しであるとも言える。この物語の最後らへんでこっこはぽっさんと夕焼けの公園のブランコで話す場面がある。とってもいい光景だと思う。爪に入ったすなつぶ、はだしの足をブランコのしたの砂のなかに突っ込んだ時、自分の足がずいぶん大きくなっていたことに気づいた時、隣のぽっさんの手もずいぶんおおきくなっている事にも気づいた。大人への一歩といってしまえばそうなのかも知れないが子供の成長はそれを感じる場面事態が今この歳の私には感涙の世界である。
クラスメイト幹成海(みき なるみ)のために自分達の好きな言葉をジャポニカ自由帳を破って書き、小さく折って成海の机のなかに入れる。この行為をはこっこのひとつの成長を具現している。とてもいとおしい。
小説のなかの会話はすべて大阪弁でかかれている。これもこの小説に合っている。自分が関西人だから特に親しく読めるからだかも知れない。関西人以外の人の感じ方はどうなのか?一度KOIKEさんにでも聞いてみよう。

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