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書評「誰にも書ける一冊の本」(荻原浩)

 ここ最近本が読めていない。昨年後半から父親の様態が良くなかったこと、その前に単身赴任で通勤状況が変わり以前のように電車に1時間以上も乗っているような通勤ではなくなった事もあるだろう。この小説も400字詰め原稿用紙なら精々140枚ほどの短いものなのだが、なかなか読み進めなかった。
 図書館で借り、借用期限を延長までしても読めず、でも最後まで読みたいものだから、一旦返却して書架に戻るのを待って再度借りたのだった。
誰にも書ける一冊の本

 ストーリーは奇しくも主人公の父親が亡くなる話であった。告別式までの間に父親が書いていた小説なのか自伝なのかわからない文章を読みつつ父親のそれまで知らなかった部分を知り、文章のまずさに辟易しながらもいろんな思いをそこに感じていた。そしてまた自分自身の今までの人生も織り交ぜて父親の人生との対比などもしている。
 父の話は子供の頃の事から始まり、文学への傾倒や戦時中の予科練での事。復員後炭坑で働き、斜陽産業の炭坑で多くの社員を馘首したこと、会社に楯突き、連絡船の切符切りに左遷させられたことなど、こと細かく記述されていた。しかし主人公はこの父の話が真実であるとは半ば思っていなかった。
 話の中には父の配偶者ではない女性が一人出てくる。アルバムのその時代の何枚かが剥がされている。通夜の夜、弔問に訪れた見知らぬ老婦人がその人であった。母は席をはずした。
 最初は批判的に呼んでいた主人公も徐々に父親の物語に引かれ、居間に安置された父親の骸と共に酒を酌みながら原稿を読み進む。残りのページを惜しむように。
 誰の人生であってもそこにはドラマがある。「人生は長く短い物語・・・」だ。そしてまた、誰しも、特に男は男親に多少の反発を持つものである。父親の語る話が嘘っぽく思えるのもそんな感覚からだろう。
 しかし、告別式の朝、雪に埋もれていた街にやがて晴れ間が出てきた時、集ってきた参列者は父の小説の中に出てくる多くの人達であった。
(2011年8月刊行 光文社 テーマ競作「死様」)

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