FC2ブログ
 

2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

映画「時をかける少女」

 映画の一つの大きな目的を見出した。実は今まで感じていたことだが書き表したことがなかった。それは・・・
 人間の行動の“いとしさ”である。つまらない事で、またとないチャンスを無駄にしてしまう、冷静にみればそうかも知れない。しかし、そんな行動に対して人は感動するものなのだと思う。
story_pic10.jpg

 この映画はSFである。当然ありえない事象が出てくる。この映画の場合は“タイムリープ”すなわち、時間を一定戻すことが出来、やり直しがきくのである。高校生のヒロインまことはひょんなことからその能力を得てしまう。最初はそのメカニズムがわからず、しかし、そんな事が起こるということには気づいていて友達の危機や、自分の苦手な告白をうける場面をリープしてしまう。しかし実はその回数には制限があったのだ。
 最後の1回になった時に初めてそのことがわかり、そして友人のちあきが未来から来た人間であることもわかる。しかしちあきはまことのために自分に残された最後の1回のタイムリープを使ってしまい、未来へ帰られなくなってしまう。そこでまことは考える。ちあきが一度時間を戻したおかげで自分に最後の1回のチャンスが戻ってきた。それを今度はちあきのために使うのである。
 あわてものでラフでしかし熱血漢であるまことのキャラクターは、そして女子高校生というまだ世間ずれしていない設定がこの話を可能にしまた感動的なものにしているのだと思う。
 タイムリープが出来るチャンスをもし大人になって手に入れれば、自分の後の生活はすべて安泰である。たとえば何かのギャンブルに、その結果が出た段階で、過去にさかのぼり、当たり券にすべてをつぎ込むのである。当然億万長者になり安泰に暮らせる。しかし純真な女子高生はそんな事をしなかった。ただただ友人たちの厳しい出来事、たとえばまこととその友人が電車にひかれて死んでしまう場面を戻したりするのである。そんな行動にとても強い共感と感動を覚える。
 しかし、最後の場面。ちあきが未来へ帰る時、まことに未来で待っていると言うシーン。あれはまことの叔母の姿とダブってしまう。そして、まことが見つけた自分自身がしたい事も叔母と同じなのである。叔母はいなくなった彼氏を延々と待ち続けていまだに独身なのである。
 同名の実写映画についてもそのようなシーンがあった。ベースが同じだからかもしれないが、ヒロイン原田知世は未来に帰った彼氏を待ち、延々と独身を通すのである。
 自分は神様ではないからそんな偉そうなことは言えないが、そもそも人間は可愛らしく、いとおしい存在である。もちろんその反面もいくつもある、浪花節だけではやってらんない場面も当然あるのであるが、でも、基本的にはいとおしい。換言すれば“バカ”かもしれない。でもそれがヒューマニズムであり、感動を呼ぶのだ。
 とてもいい、アニメ映画でした。

スポンサーサイト

PageTop
 

コメントコメント


管理者にだけ表示を許可する
 

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

| | 2015年07月26日(Sun)23:44 [EDIT]