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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

書評「降霊会の夜」(浅田次郎)

 閑静な別荘地で嵐の日に出会った梓は、主人公を高齢のイギリス人女性が開く降霊会に誘った。
 主人公“私”は今までの人生の中で大きく“悔悟”に感じている出来事が二つあった。そのうちの一つが前半のお話、そして後半にはまた別のお話がある。
降霊会の夜

 一つ目の悔悟は“私”がまだ小学校3年生の時、転校してきたキヨとの話だ。時代は東京オリンピック前夜である。敗戦後の日本がだんだんに立ち直っていく(と表向きには見える)時代であった。街の面影は徐々に戦後復興の呈ではあるが、人々の心はそれに追いついては居なかった。社会の歪みの犠牲になってゆくキヨの家族。裕福な家の子供であった私“ゆうちゃん”は、母や祖父に生きるための術を教えられるかわりに大きな悔悟を背負う事になるのである。
 秀逸なのは街のおまわりさんである。復興しつつ社会にあって、“その実”がどんなものであるかを見透かしており、キヨやその家族のように、その歪みの犠牲になっている者に対して、出来うる限りの手をさしのべて居たのである。この辺りは浅田次郎らしい部分である。
 二つ目の話は、“私”が大学に入学した頃の話、大学紛争の時代、所謂“ノンポリ”として気楽に暮らし、学校が閉鎖されている状況の中で遊び回っている生活を送っていた。その頃の“私”達、中産階級の子弟は確たる意見を持つ事や、自分の思う方向を仲間達に披露する事が“ダサい”と思われていた風潮の中、恋愛においても強い意志を示すことがなく次から次へと相手を替えていった。しかし実はそんな“私”をずっと見つめていた女性が居たのである。結局その女性は延々と、私から“さよなら”という言葉が聞けないために心が自由になれず、死後にいたっても彷徨っているのであった。そして“私”はこの降霊会ではじめてその事を知る事になる。
 先の話は、幼かったから許される。後の話は“そんな風潮”だったから許される。そんなふうにも思えなくはない。しかし自分自身でそんな風に思ってしまえば、今そう思っている瞬間は救われても、心のどこかにずっと“悔悟の念”は残るのであろう。実は永遠に救われる事はないのかも知れない。
 解説の中で主人公の言葉として書かれている「この歳まで生きて、悔悟のないはずはない」そして「罰は下されなくとも、おのれの良心に問うて罪だと思うくさぐさは山ほども
ある」という言葉が、自分の心の中ではそれが罪であるということを自分自身が知っているということ・・・。さらに解説者は・・・「そして、善く生きるためには自分のしたことを糊塗することなく、自分の愚かさを認め、叶うならば、同様の悔悟を重ねることのないように、生きて行く事である。・・・」と言う。私もまさしくその通りであると思うのである。

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コメントコメント


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正に『晴耕雨読』ですな。
ワタシ?近頃は昼呑み会連発でして『昼中泥酔』ですわ。
燦々と輝くお天道様を背にして酒を呑むこの背徳感は堪りませんなぁ。

うんちく | URL | 2015年05月05日(Tue)10:15 [EDIT]


うんちくさん
>近頃は昼呑み会連発でして『昼中泥酔』ですわ。
それはある意味羨ましい。しかし、昼に酒を呑むと後はなんにもしたくなくなるのが問題ですね。
 実は”こうあらねばならない”というような事はあんまり無いと最近は思ってきたのですが、元来の”貧乏性”ゆえ、いつもあくせくしていなければ不安にかられてしまうのですよ。
 実はもっと大切で優先すべき事が一杯あるのは薄々解って居るんですがね、それが出来ないのが自分の最大の欠点だと思っているのです。

四方山果無 | URL | 2015年05月06日(Wed)10:35 [EDIT]