
JR石山駅から石山商店街を東へ。湖岸道路と交わった所に”松原寮”はある。
1980年4月就職が決まり、配属先の独身寮に入る。それがこの寮だった。
当時は30部屋がほぼ満室だった。そこから始まる楽しくも”おぞましい”5年間は我が生涯の中でとても印象強いものだった。
四畳半一間でトイレ洗面所や風呂は当然共同であり、住み込みの寮母さん1名と通いの方が2名、食事や寮のお守りをしてくれていた。
印象深いのは瀬田川に架かるJRの鉄橋だった。夜中に走る長い貨物列車が発する轟音で、何度目が覚めた事か。
昨年は住人が6名まで減り、今残っているのは1名のみ。その彼も3月末には出ていかなければならない。昔住んでいた301号室。懐かしい
でも、今はこんな寮は流行らないのでしょうね。ワンルームで風呂トイレ、厨房全部が付いているのでなければね。しかしこのような寮はいかにも寮です。寮生の関係が密接で、先輩諸氏には理不尽な事もありましたが、随分面倒を見てもらいました。給料日前の休みの日には飯をおごってもらったりね。
この日は生憎の雨でした。寮のカンバンも泣いて居るようにみえます。しかし、このカンバン、見るのは初めてかも?日頃は駐車場から入る裏口しか利用してなかったから。
建物の右側は実は将来増築出来るように鉄筋が出されていたのですが、時代の変遷には勝てず、増築する事もなく廃止になりました。
壁面には多くのツタが。それだけで古びたように見えます。1972年頃建築されたときいたので、築43年。まあそれなりに古いです。
石山商店街の通りは現在拡幅中でした。かつて馴染みのあったお店は悉くなくなり、もう知らない街のようになっていました。これも時代の流れなんでしょうね。一抹の寂しさを感じます。
ツタの痕跡も歴史を感じさせます。
寮廃止に際して、かつての寮生の有志で”さよなら松原寮”と銘打ち懇親会をしました。当時若かったみなさん、それなりに齢を重ね、既に引退された方も・・・。
この日一番嬉しかったのは、かつての寮母さんが来てくれたこと。お年はナント!91歳!!ご健在かどうかわからなかったのですが、手紙を出しておいたら、電話をいただきビックリしました。この日をとても楽しみにしていると言ってくださいました。とてもしっかりされていて、車で迎えに行くと言ったのですが断られ、娘さんと二人で電車で来てくれました。嬉しくて嬉しくて思わず涙が。集まった皆さんはそれぞれ、当時、寮母さんには多大な迷惑をかけていたので、謝っておられたのがなんとも面白かった。参集してくれたのは少人数でしたが、当時の話に花が咲き、とても懐かしい集いになりました。


