
今はもう無い日岡廉売市場のカンバンです。我が母校”氷丘小学校”の近所にあった市場です。私が小学校に通っている時に出来たので、もう40数年前のものなんですね。中央に通路があり、その両側に各々6~7区画の店舗が並んでいた市場です。市場自体は数年前につぶれ、少し前には建物も取り壊されました。
出来た当初は結構栄えていて、夕暮れ時になると人が一杯いたのですが、いつの間にか寂れてしまったのですね。駐車場が少なかったのも廃れた原因かも知れません。
この市場には実は随分お世話になりました。小学校では”うさぎ当番”というのがあって、小屋の掃除やエサやりをするのですが、その時、この市場の一場奥の左側にあった”マルヤマ”さん?だったか、八百屋さんへ数人で行き、大根葉なんかを貰ってきてウサギやニワトリにやっていました。話は脱線するんですけど、”うさぎ当番”は4~5人のグループで順番に回ってきて小屋の掃除をするのですが、日曜日や夏休み、冬休みも回ってくるのでその時は学校まで行っていました。ウサギは可愛かったのですがニワトリはあんまり好きではなくて、鶏小屋へ入るのは嫌でした。(未だにチキンが食べられないのはその時の影響かも)
話を戻して、入り口右側には肉屋があっていつも夕方になると、一場の入り口の前でコロッケとミンチカツを揚げていました。放課後、学校でしこたま遊んだあと決められた通学路じゃないのに市場の前を通って帰り、友達と一緒にコロッケかミンチカツを買い食いしてましたね。お小遣いが潤沢な時はミンチカツ、そうでない時はコロッケでしたが、一つ注文すると、食べやすいように油紙にはさんでくれていました。暖かくてとっても美味しかった印象があります。
市場の中には他にお好み焼き屋さん、ここもよく行きました。お好み焼き”並”というのにはスジ肉の煮込んだのが入っていました。他ではあんまり見かけませんでしたね。
それから豆腐やさん。プロパンガスのバーナーで豆腐の表面を炙って焼き豆腐を作ったり、豆腐のスライスを油で揚げていたりしているのを興味深く見ていました。ちなみにここで、初めて”油揚げ”は豆腐から出来るのだ!と言うことを知ったのでした。
ここの豆腐やさんは馴染みが深く、この市場の中での店売りの他、おじさんが自転車の横にサイドカーのようにもう一輪付け、そこに水槽を乗せてベルを鳴らしながら巡回していたのでした。真っ黒に日焼けした小柄な年輩のおじさんでした。ベルが聞こえると、祖母に促され、琺瑯引きのボウルを抱えて、妹と自転車を追いかけて買いにいっていました。そう言えばおじさんの腕には小さな入れ墨がいくつか入っていたっけ。「ありがとう」というと「ありがとう」と返してくれる。妹は面白がって、何度も有り難うと言う。おじさんはその都度返してくれる。どちらが最後に言うかを競っているようで、横にいる自分は天真爛漫な妹とは違って少々恥ずかしかった・・・。
ほんの偶然に発見した錆びて文字の掠れた市場のカンバンでしたが、ひととき、この市場に親しんだ時代に浸ってしまいました。郊外に広大な駐車場を備え、スーパー、ホムセン、薬局、飲食店などが集合するパワーセンター、もしくは駅近くの百貨店などに押され、こんな市場はもう流行らないのでしょうか?近隣では加古川も神野もすでにつぶれちゃいました。時代の流れかも知れませんが昔親しんだ施設や風景が無くなるというのは一抹の寂しさを感じるものです。
(あの残ったカンバンはどうするんだろ?)


