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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

念願の山形旅行(その10)注連寺再び

(これは8月27日の記事です)
 さて、旅行もいよいよクライマックスです。初日はごく短時間しか居れなかった念願の注連寺に再び行けることとなった。羽黒山から最短コースで約1時間。月山の山裾を走る見張らしのいい県道だ。途中給油のため町中へ降りるがまた、県道44号線に戻る。少し雲がかかっているが、今日も月山が見える。
76.月山

県道44号から国道112号に入り月山ダム入り口より再び注連寺へ入る。旅行初日とは違い車が4台停まっている。本堂も開いており、各自500円を支払い説明を受ける。
 注連寺はとても立派なお寺で、その天井画はミシュランの評価を得ているとのこと。本堂の天井は四方を睨む竜。即身仏鐵門海上人の部屋は合掌した手、仏間は天女と花、受付のある部屋は二頭の馬、そして床の間は水中の風景とどれも素晴らしい。天井画は写真を撮っても良いとのことであったので写させてもらう。
77.天井画1 78.天井が2 79.天井画3 80.天井画4
案内してくれたお姉さんに森敦のひと冬過ごした部屋は隣の庫裏か訪ねると、まさにその建物だとのこと。本堂から庫裏へと続く渡り廊下を見せてもらったところ、新井満や森敦の色紙がかざってあった。また、ここ七五三掛(しめかけ)の集落の絵があった。
100.庫裏 81.新井充 82.森敦 83.七五三掛集落
実はこの集落は5年前の地滑り災害で住民すべてが離村してしまったとお姉さんから説明を受けた。かつてはここ注連寺は無人の荒れ寺であったのが、森敦の小説のお陰で復興したのに今度は地滑りにより集落がなくなってしまうという不幸があったのだ。
本堂の西側におおきなコルゲートパイプの井戸があったのが理解できた。これは地滑りを抑制するための集水井だったのだ。
84.集水井 85.集水井銘板
もうひとつ残念なことは、森敦記念館がかつて庫裏の前にあったらしいのだが、2年前に潰されてしまい、展示物は鶴岡市だかどこかの図書館に保管されていること。なぜとりこわされたのかは知らないが、とても残念である。
本堂の見学をしている間に雨が降ってきた。このあと十王峠と、寺の裏にあるというお坊さんの墓所を見たいと案内のお姉さんに言うと、それぞれの入り口を教えてくれた。雨の中、奥さんも息子も行くのを渋っていたが、とりあえず十王峠まで車でいこうと誘った。十王峠は車で行けるのだ。寺の横のコンクリート道が十王峠への入り口である。
車で上って行くとなにかの工事をしている。地質関係の会社のようなので、恐らく地滑り関係の工事であろう。もう少し上ると、かつての歩きの道と交差し、その少し上がもう十王峠であった。峠の地蔵さんの写真を撮り早々に寺に戻り、こんどは一人で七五三掛桜の横にある石段を上って行った。
ほんの少し歩くと祠があり、そこにも集水井が。更に上ると苔むした墓石がたくさん並んでいる。そしてその中の多くは東部が丸い僧侶のものであった。ここがかつて森敦も歩いた場所であることに間違いはなく、とても感慨深かった。ついでながらこの道沿いにも集水井や埋設された観測機器が複数あった。
86.十王峠入り口 87.案内板 88.神社? 89.ここにも
90.墓所1 91.墓所2 92.十王峠への道 93.ここにもある
94.車道 95.案内板 96.峠の地蔵さん
 帰る間際ではあったが、念願の注連寺の庫裏や十王峠までの道の散策が出来て幸せだった。散策中は頭の中には常に”吹き”があり、前には”もくえんのじさま”が天秤棒を担いで足を踏みしめていた。
 森さんが中連寺にて一冬を過ごしたのは昭和26年だったと思われる。今から63年前のことだ。当然周囲の状況は変わっているだろうとはおもっていたが、現実のこの大きな変わり様は・・・そこここに埋設計器が埋め込まれ、まるで、大手術した後、ICUに入っている患者のようなイメージを受けた。(実際、似たようなものなのですが)
97.埋設計器
 かつては境内の前のエリアにも住宅があったのであろうが、今は何も無い。ただ、水田や畑作などは通いでされているようであった。
99.中連時前から 98.集落跡
 ここ七五三掛地区の地滑り対策事業については新庄河川事務所が詳しい。

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