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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

書評「冬虫夏草」(梨木香歩)

久しぶりの梨木さんの小説だ。「家守奇譚」の綿貫征四郎や掛軸の中から出てくる高堂がまた帰ってきた。今回の舞台は梨木さんが住んでいる滋賀県である。鈴鹿山脈の中、八風街道や、御池川、愛知川そして木地師の故郷である蛭谷や君ケ畑などの地名が出てきて私としてはなつかしい。かつて大津市に住んでいて山登りなどもし、また、仕事の関係でも訪れた場所が多く、いずれもなじみのある場所だからだ。征四郎の住んでいる疎水べりというのは琵琶湖疎水のことだ。そして鈴鹿の山中に住む村人たちが”うみ”(海)と呼ぶのは琵琶湖のことである。

川は竜神が支配し、管理している。その竜神に元気が無い。そんなシチュエイションは「千と千尋の神隠し」の中に出てくる湯屋の”油屋”に集い、休養をする川の神様達の姿を思い起こさせる。
梨木さんのこのシリーズ(といっていいのかどうか?)の文体は古風で懐かしさを感じる。基本的にすべて征四郎の言葉と思考として表現されているのだが、これがなかなか雰囲気が良い。のんびりと鷹庸で落ち着くのだ。征四郎の行動も強く目的意識的に行動するわけではなく、出会った人々の進言を受け入れ、沸きだす自身の興味が相まって行動するという風である。
征四郎の目的は失踪してしまった飼い犬ゴローを探すと言うことだが、人望?厚いゴローのこと、きっと重要な使命をどこかから受け、それを遂行するために帰ってこれないのだろうと征四郎は思うのである。しからばその使命とは?じっくりと読むとその使命は文章の中から見つけることが出来たかも知れない、しかし、私はわからなかった。クライマックスでは明示されるものと思っていたのだが、終わりはあっけなかった。まだまだ続くこの世界をいきなり打ち切ってしまったような終わり方であり、少々不満ではある。
この小説のなかにはあの「村田エフェンデイ滞土録」の主人公である村田も征四郎の友人として紹介されている。梨木さんの小説を愛するものとしては梨木ワールドが広がり嬉しい部分ではある。
「家守奇譚」では人と植物のふれあいが背景にあった、こちらの方は生き物とのふれあいである。ムジナ、イワナ、河童、犬、ムカデなどである。普通に考えれば空想とまやかしの世界であるにもかかわらず、ここに登場する鈴鹿山脈の人々は征四郎と同じで、それがごく普通のように語るのである。イワナが経営する宿やがあると思うか?しかし、これが梨木さんのお伽噺なのである。
その中で、先にも書いたが、飼い犬のゴローはそんじょそこらの人間よりもよほど重要な人物(犬ですが)であり、とても重要なミッションを帯びて家を出て鈴鹿の山中で活躍しているという設定であった。
もっとも、「家守奇譚」の時以来、高堂という友人はすでにこの世のものではなく、掛軸のなかの湖を船を漕いでこちらの世に帰ってくるという風なのだから。この「冬虫夏草」の中でも高堂は柿の葉寿司を目当てにやってきたり、投宿先に現れたりした。また、菊さんという妊婦が難産で儚くなり、その亡霊も出てきて、征四郎に頼み事をするのである。征四郎の友人である南山はその姿を見て気を失うのだが、唯一この南山が普通の人間であると思う。しかしそれでは味気ない。征四郎のような、異界を許容する者が醸し出す雰囲気、これこそが梨木ワールドなのである。
ここで少し梨木香歩さんの他の作品を見てみよう。何が有名な作品かはよく知らないが、「りかさん」、「からくりからくさ」、「春になったらイチゴを摘みに」、「北の魔女が死んだ」、「におつひめ」、「F植物園の巣穴」これらはみんな幻想的なお話しだ。「村田エフェンデイ滞土録」は比較的現実的小説だと思う。エッセイもある。「水辺にて」、「ぼくはそしてぼくたちはどう生きるか」、などは梨木さんの別の面を見ることができる。当然エッセイはフィクションの世界とは違って、自分の経験や思い出、そしてその中から自分の思いを伝える文章だからだ。どちらの面においても私は彼女の文章が好きである。自分もこんな文章が書けないものかと思っているのだ。
複数の幻想的小説のなかの登場人物を後の作品にも登場させるのは、梨木さんの大きな構想があるわけでは無いと思う。ただ、梨木作品をよく読んでいる読者をニヤリとさせるためであるとは思うのだが、すべての、もしくは多くの作品が関連づけられればそれは素晴らしいことだと私は思う。後々に出てくるであろう梨木作品により、その大きな構想が現れてくることを私は期待しているのだ。

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