

この小説はそんな不安にはじまり、キップを無くした子供たちが駅の中で一緒に暮しながら「駅の子」として山手線の各駅で乗り降りする子供たちの世話をするのである。
ファンタジーのシチュエイションは基本的には”何でもあり”なので好き放題に条件設定ができる。しかし、そんな小説でも読者はそこから得られる感動があればすべて許してしまうのである。
「駅の子」たちの中に死んだ子が一人いる。この子が”あちらの世界”へ旅立つまでの心の迷いの期間、それを共に過ごす駅の子たちが支えて行くのである。
人の心(魂)はたくさんの小さな心(コロッコ)の集まりであり、そのコロッコたちが議論しながら、どうするかを決めて行く。鉄道事故で亡くなったその子のコロッコ達はいきなりの出来事だったため、議論する時間がなかった。だから、向こうの世界へ旅立つには時間が必要であったのだ。人は死ぬと徐徐にその人のコロッコたちはその集まりから離れて行く。そして最後にはなにも残らない。しかし、個々のコロッコたちは、また別の生命として生まれ変わる。小さな生き物には少しのコロッコ、人間の心には、はたくさんのコロッコが集まる。コロッコは永遠に生き、次々とその宿る生命を代えて行く。作者である池澤夏樹さんの”魂”というものに対する考え方である。これはある意味では仏教の云う、輪廻転生に繋がる考え方であると思う。
春休みの終わりに始まったこの物語は夏休み前の駅の子達の北海道旅行で終わる。主人公イタル、リーダー役のフタバコそして魅力的な駅の子たちの振る舞いが可愛らしく、成長していく姿がとても良い。
先にも書いたが、理不尽な設定のファンタジーは決して破綻しない。元々が理不尽なのだから。しかし、そんなことはどうでもよくて、とにかくその内容が感動を与えるものであれば良いのである。最近は読書に”スレ”てきて、現実味のある小説をその内容が破綻するのではないかとハラハラしながら読むことが多いのだが、それに比べればファンタジーははるかに気楽である。


