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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

書評「忘れられた日本人」(宮本常一)岩波文庫

1960年、未来社から出版された同名の本が底本となっている。日本全国を歩き、民話や伝承を集めてまわった記録である。
 対馬、瀬戸内、愛知県設楽町、周防大島、各所で集められた古老達の話しはとても興味深い。時代背景は江戸時代末期から昭和初期であるが、歴史教育の中では激動する政治、経済、国際関係がもっぱらの話題であり、庶民がそのころ何を思い、何をしていたのかということが実はあんまり耳目にふれることがなかった。そんな場面を収集されているところがとっても興味深いのだ。たとえば男だけでなく、多くの若い娘たちが、放浪の旅に出ていたとか、鉄道もまだ発達していない時代、徒歩で遠いところまで湯治に出ていたり、旅芸人や八卦見として糊口をしのぎながら旅に出ていた。旅に出る事が当時は世間を知る大切な行為であった。

 また、“ヨバイ”という風習はごく一般的にあり、夜中に未婚の女性の寝屋に忍び込み、、性行為を行う、親は別室で知らないふりをする。娘の所に夜這いに来てくれる男性が居ないということは由々しき問題ととらえられていたという事実があったこと。娘は結婚するまでは貞操を守る・・・なんて感覚はもっと後世に出来た慣習だったということなど。
田植え歌という風習があった。稲作は日本古来からの主たる農業であるのだが、一番辛い労働が田植えであった。昔は田植えは女性の仕事であり、男性はその補助しかしていなかった。田植えは各個別の所有する水田をその耕作者が単独でするわけではなく、村総出でやっていた。辛い仕事を奮起させるため太鼓を持って歌う男が居り、田植えをする早乙女はその拍子に合わせて田植えをしていたのであった。しかし、それも農地解放などの歴史的な出来事がありだんだんと廃れていったのであった。
対馬開拓者の梶田富五郎の話しも興味深い。ブリを求めて、厳原から対馬にわたった漁師が村を開き、発展してゆくという話しだが、当時の港作りのやり方などが記述されている。
 馴染みの土地の話しも出てくる。南河内郡滝畑村、ここはずっと以前、仕事で何度か訪れた所であった。本書ではこの地における明治維新の時の大阪から紀州に落ちる浪人者の往来が記載されている。
また、私が今住んでいる加古川東岸についても記述があった。村人が“寄り合い”をする四阿つまり“お堂”が非常に多い土地であるという。たしかに周囲にはあちこちにお堂がある。3方が開けており、1方に神棚だか仏壇だかがあるお堂である。大きさは四畳半くらいか?子供の頃はよくそこであそんでいたが、何をする場所なのかは全く知らなかった。
全国各地に及ぶ伝承の記録。そして、江戸時代から昭和に至る激動の時代の陰で、庶民はどのような生活をしてきたのか。また、現在は廃れている風習など、貴重な民族学的記録であると思う。 

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