
窓外には夕日にきらめく太平洋が望め、串本や白浜の観光地からは、多くの帰り客が、お土産や弁当の香りを伴って乗ってくる。夕方6時、列車は白浜駅を出ると窓外の景色も漆黒となり、手持ち無沙汰になると腹が減ってくる。折よく通りかかった車内販売のお姉さんに声をかけ、弁当はないかと尋ねる。いなりずしと”柿の葉鮨”と”海老寿司”があるという。柿の葉鮨は奈良だろう!おいなりさんはどこにでもある。ということで残る海老寿司を買う。缶ビールも忘れない。
出張帰りの自分もようやく周りの行楽帰りの人々の雰囲気に少しだけ近づけた。海老寿司は高かった割りには、それほどおいしくなく、場所違いだが柿の葉鮨にするべきだったと後悔しながらも好みのビール、”スーパードライ”で気を取り直す。
ちょうど食べ終わる頃、和歌山駅に到着。和歌山駅は何度も来ている馴染みのある所で、「なんだ、もう和歌山か。」という印象なのだ。特急列車は銀河鉄道スリーナインのようにずっとこのまま走ってほしい。この久々の旅行気分をまだまだ味わいたいのが今の本根である。
昔は、今ほど列車は速くなかった。新幹線や飛行機も乗れなかった。遠い所への旅行は裕福な人は寝台列車、プアな学生は夜行の急行と決まっていた。周遊券で自由席急行に乗れるからそれが一番安くて早い手段だった。学生時代には急行北国で青森へ行った。名前は忘れたが鹿児島へも急行で行った。その時は新聞紙を敷いて通路に横になったものだ。食うや食わずの旅行だった。でも、心はとにかく躍っていた!今となっては本当になつかしい思い出である。
新幹線や航空路が発達した今、かつてのあんな経験はしたくても出来ないことであることはたしかなのだ。はたしてあのころの自分たちはプアだったのだろうか?それとも”とってもとっても裕福な経験”をしていたのだろうか?・・・・・・・・(3月末に日帰り出張で行った串本の帰りの電車で思ったことです)


