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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

震災対応応援日記(その2)SNG修繕

3月11日に発生した東北地方の大地震により被災されたみなさまにお見舞い申し上げます。また、不幸にしてお亡くなりに成られた方々のご冥福をお祈り致します。
 4月4日より約10日間、東北方面へ震災対応の応援として行って来ました。差し障りの無い範囲で現地の状況や感想などをアップさせていただきます。

本日は朝から仙台より南の方にある岩沼市の下水処理場及び、さらに南の山元町坂本地区にある小学校の屋上のSNGの点検を行う。これらの小型衛星通信装置は津波監視として現地にテレビカメラを臨時で設置し、その画像を通信衛星経由で災害対策本部へ伝送しているものである。
 最初に仙台市内にある出先事務所に寄り、土のう袋や三脚を受け取り現場へ向かう。仙台南道路を走り、仙台東道路との接続部まで来ると、水田と思われる所に材木やゴミがたくさん残されている。仙台東道路に乗り南下する。左側海の方角は、壊滅的であり、家の残骸や、車、船が一面に地面を埋めている。名取市付近となる。
名取市付近
 岩沼市より高速を降りて被災地の中に入ってゆく。テレビで放映していたのと同じ、水田を一面に埋めたがれきや、そこここにちらばる自動車の残骸が目の前にある。
 始めに岩沼市の津波で破壊された浄化センターの建物の屋上に設置している、SNGと監視カメラを点検しに行く。昨日より画像がとぎれていたとのこと。瓦礫が取り除かれた道路を海岸べりにあるセンターまで走るのだが、結構な距離がある。実は、本日出発前に、津波の危険区域に入って作業している時、もし地震があったら、即刻逃げるように指示されていたのである。でも、これだけ平地が続けば車で走ったとしてもとても逃げ切れないのではないかと思う。
 浜辺には広く長く続く松林があるが、多くの松の木がなぎ倒されていたり、ながされていた。松の木の根っこって、こんなに表面的にしか張っていなくて、それも面積は狭いものなのだなと思った。防風林として植えられたものだろうが、津波の防御には無力であったようだ。
 浄化センターは2階建の広い大きな建物が2棟あり、2階部分でその間を渡り廊下で結んである。この渡り廊下の途中に外部へ出ることができるドアがあり、その外側に渡り廊下の屋上に出るバルコニーがある。そこからハシゴを上り、さらに廊下の屋上から、ハシゴでもう一段登った屋上にSNGとテレビカメラが設置されているのだ。この渡り廊下は地震の影響で脱落しかけており、建物と渡り廊下との境目には10センチほどの透き間が開いておりそこから地面が見える。接続されていた鋼材は、曲がって破断しかかっており、渡り廊下へ乗るのが怖い。カメラの三脚は土のうが結わえられていたが倒れていた。センターの前で、津波で打ち上げられた砂を土のう袋に詰め、渡り廊下のバルコニーまで運び上げ、そこからロープを使い屋上まで上げる。三脚の足1本に土のうを一つずつくくりつけ、倒れないようにする。カメラは電源アダプターが三脚が倒れたショックで外れていただけでそれをつなぐと動作した。カメラの画像がよくないため、持参したカメラと交換し、画角を調整し、災害対策室に連絡を取り確認して終了。
センターの被災 センター内部 SNG.jpg
 このセンターの周辺は、美しい海が望める所であり、海岸べりには長い防波堤が築かれていたが、かなりの箇所が倒壊したり、引き波の影響で陸側に面している方が洗掘されていた。また、敷地境界に植えられている植木が、みんな陸側に向かって約45度に傾いていた。
樹木の傾き
 浄化センターを引き上げる時、道路際に大きな建物の屋根が流れ着いていた。”明神社”という看板が落ちていたが、地図で見ると海岸に近い所にあった神社の屋根のようである。少なくとも300メートルは流されて来たようだ。
神社の屋根
 被災地内の市道をしばらく走り、国道へ出て、次の山元町に向かう。
 山元町手前より、市道に入り、延々と続く瓦礫の中を行く。坂元小学校の手前には、線路が枕木ごと流されており、それより20メートルほど海側に常磐線の踏切跡があった。坂元小学校の校庭には、警察のバスが3台泊まっており、周辺の捜索が続けられているようであった。小学校の建物は真新しく、きれいで、モダンな建物であったが、内部は破壊しつくされていた。屋外の非常階段より2階に上がり、教材倉庫の仲にある階段で屋上へ上がる。そこにSNGとカメラが設置されていた。設備は支障なく動作していた。
 屋上から、二階のバルコニーを見ると、津波の起こった時間で止まっている時計が一つおちていた。海側の屋根の端が壊れていたが、恐らく校舎に当たった津波が屋根の上まで、立ち上がったのであろう。
 屋外を見ると住宅跡と思われる基礎がそこここに残っており、水たまりの中を見ると、舗装が見えるので、かつての道路が陥没して水がたまっていることがわかる。
海岸方向
 小学校の中は天井が落ち、ドアが外れてガラスが割れ、打ち上げられた砂が4センチほども積もっており、安全靴でないと歩けない状況であった。図書館の本や、カバンが濡れて散乱し、音楽室には、アコーディオンや、木琴、オルガンが泥を被って床におちていた。自衛隊の方が、捜索時に見つかった、名前の判明する本などを1箇所に集め、非常階段の上り口にその旨の書き置きがおいてあった。小学校の被災現場は、本当に悲しい。
校舎内 音楽室
 点検作業を終え、校庭に出る。校庭は全面が10センチほどの厚さで砂に覆われ、歩きにくい。隣にある体育館も内部は悲惨な状況である。
体育館
 校庭の端には被災した自動車が集められ並べてあった。
 元来た道を戻り国道6号線に戻る。国道口には「新浜」という表示があった。その横のコンビニエンスストアはすでに営業を再開しており、おにぎりを買うことができたので、車内で食べ、次の目的地である、阿武隈川河口に向かう。
 阿武隈川河口では、河口堰を動かすための予備発電機の点検を行う。震災直後3日間ほど動いたという発電機は比較的良好であったが、燃料タンクより若干の燃料漏れが発生していた。また、地震の影響で、建物には新しいクラックが数カ所あった。
 本日の作業はこれで終了し出先の事務所へ戻る。
 

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