
4月4日より約10日間、東北方面へ震災対応の応援として行って来ました。差し障りの無い範囲で現地の状況や感想などをアップさせていただきます。
始発のローカル線に乗り、神戸線の快速に乗り継いで三ノ宮へ、そして空港バスにて伊丹へ。空港で朝食を取りつつ、一緒に行くM氏とS君を待つ。私の職場は東日本の震災対応を行っており、今日から10日間ほどその応援に行くのだ
8時25分発B737にて山形空港まで。仙台空港が津波被害を受け閉鎖中であるため、近隣の空港である花巻空港や山形空港経由となる。ロジスティック班のK氏が空港まで出迎えてくれ、作業車に乗り仙台の出先まで行く。もう4月というのにさすがに東北、途中雪が降ってくる。1時間ほどで出先の職場に到着。仙台の町中は特に変わった様子も見受けられず、普通であったが、ときたまヘルメットをかぶった人や、災害対策関連組織のユニフォームを着た人がいた。
東北の出先機関は仙台市の町中にある古びた建物で中は迷路のようで迷いそうだ。
まず始めに災害対策室へ。大きな災害対策室はひとつの壁面全体にマルチビジョン8面、その両側に20インチほどのディスプレイが各々40面ほどあり、各画面の下には表示内容が電光表示板で示されている。映し出されているのは東北地方の国道や河川の状況、それから津波監視の画像だ。マルチビジョンは右4面を合成してNHK等のニュース番組、左4面には、被災現場を撮影しているヘリコプターの画像やテレビ会議で開催される、災害対策本部会議の状況、被災地に臨時に設営されたSNG(小型の衛星通信設備)からの画像などが映されている。そして、この画面を囲むように幹部の座る席がある。マルチビジョンの上、天井近くにはテレビカメラがあり、この部屋自体、東京とのテレビ会議が出来るようになっている。
低いロッカーの列が災害対策室を半分に区切り、幹部席とは反対側に各担当部署のデスクがかたまっている。画面に向かって右端が河川関係、中央の島の画面側が自治体補助関係、奥が港湾空港関係、左側が道路関係、左外側に総務担当と自衛隊からの派遣者の席がある。私たち電気通信の担当と機械設備担当は画面に近い右側、河川担当と画面の間に向かい合って座っている。電気通信担当は全部で4名が被災地との無線連絡、マルチビジョン画面の切り替え操作、テレビ会議システムの操作をおこなっている。私たちはここでの作業内容と、映像機器やテレビ会議システムの操作を教わる。
次にリエゾン班及びロジスティック班の部屋に案内される。こちらは、大会議室の中に5つの島を作り、中央の大きい島はリエゾン班、近畿方面からは2名派遣されている。リエゾン派遣とは、支援する市町村の担当者と、派遣元との間の橋渡しをする仕事をしている。現地の自治体へも2~3人ずつ出ており、この職場の部署はそのとりまとめを行っている。
その外側の小さい島は各地方のロジスティック班の島。ロジスティック班は東北各地に派遣されている機械班、調査班、電気通信班及びリエゾン班の宿泊や必要物資のフォロー移動手段の確保等をする班である。こちらも近畿からは2名来ており、内1名は今日一緒に来たK氏と明日引き継ぎし帰る予定。
ちなみに、リエゾン班、ロジスティック班以外に、現地でたまり水の排除などをやっている機械班、避難場所や自治体の仮事務所へ通信回線を提供している電気通信班、被災状況を調べている専門の班も派遣されている。
リエゾン・ロジスティック班の部屋には現場での必需品である軍手やマスク等もあり、また、カップ麺や非常食もある。必要なものがあれば言ってくれとのことであった。
最後に情報通信技術課に案内された。S課長、O補佐とあいさつ。情報通信技術課の奥には、応援部隊の席とパソコンがある。
私達は、東北の出先期間の災害対策を支援するために派遣されたのだが、被災調査にも出る予定となっている。この日は前任の中国班と中部班から引き継ぎを受ける予定であったが、中国の部隊は被災調査中からまだもどっていなく、中部の部隊はすでに業務を終えて名古屋へ帰った後であった。


