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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

書評「ティキシイ」

ティキシイ

 深く感動を覚える作品であった。エスキモーと白人の少年の心の触れ合いを通じて白人の少年が、自然の声なきこえを理解するようになっていく。シャチと話し、アザラシの死にぎわの感情を理解し、殺さねば自分は生きてはいけない苦しさに涙する。

西洋人には合理的精神が根底に流れている・・・・というイメージを日本人は持っているが、この本の作者であるC.W.ニコルは本当に西洋人なのだろうかと思うほどウェットな感情をもっている。魂の言葉を理解し、霊魂の存在を恐れ、救うというのは、東洋思想の専売特許だと思っていたが極北に住むエスキモー(イヌイット)も同じであり、ニコルはそれを東洋人以上に理解している。ニコルの魂の遍歴をもっと追ってみたい気分に駆られる小説である。
 彼は何故日本の、それも雪深い黒姫に棲むようになったのか、黒姫は、彼にとって一つの通過地点であるだけなのか。ニコルのバイタリティを考えると余生をそこで静かに送るとは思えない。「ニコルの青春記」も読んだが、ウェールズ出身であるという自覚はその本に現れているが、彼はとても明るく自由奔放な青春を送っていることしか読み取れない。貴方も分かるであろうこの日本人の思想の根底に流れる、どこか暗い内向的な意識の中から芽生えているもの。卑下と劣等感から発祥し、妬み、嫉みで屈折させられ、おだてによって持ち上げられた日本人の心とある一点で触れ合うところがあるのが。
少々悪く言い過ぎたところがあるが、日本人には閉じ込められた狭い空間の中で発生する悶々とした不完全燃焼の思想がある。しかし、一方何とかもっと開けた場所との交流を保ちたいという気持ちもここには現れている。イヌイットのウェットな部分を最大限に尊重し、西洋的な合理主義によりこの小説をまとめようと思えば、ティキシイは死なねばならない運命にあると思う。必然的な結末であるがゆえに、現実のアラスカ以北での確執の根底をここに表している。状況に順応できない人間はいつの世も苦しい端境に身を置き、苦しむものであるということを表している。
 別に几帳面になんか生きる必要はないよ。自然体でいいのよ。でも、友達は大切にしなければ駄目だよ。人をそしることは簡単、でも人を立てることは自分の人間性を高めることになる。頑張れ。どうしたらいいの、僕のこの気持ちを表現するのは。言葉は魂をもっている。粗末に扱ってはいけない。
               ティキシイby C.W.ニコル

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