
「沼島」は周囲約10キロの小さな島で、漁師の島だ。そして神話の時代、イザナギとイザナミが混沌を矛でかき回し、引き上げた時に滴が落ちて出来た初めての国であると言われている。
もっぱら釣り人が多く訪れる島だそうだが、昨今は観光客も多くなってきたとのこと。
沼島へは淡路島の土生(はぶ)から連絡船が出ており、約10分ほどで着く。また、週に3便洲本からの連絡船もある。
連絡船は昼間は約1時間半の間隔でしか出ていないため、用事が終わったのがちょうど連絡船の出た後であった。折角なので、1時間あまりの待ち時間、歩いて行ける範囲で散策してみた。
沼島の港には多くの漁船が係留されており、漁具がおいてある。まさに漁師の島である。しかし、多くの漁師さんは70歳を越え、高齢化が進んでいるとのことである。
沼島近辺でとれるもので有名な魚は「はも」、そのほとんどは京都へと運ばれる。京の夏の風物誌なのだ。
沼島は淡路島の南側に位置しており、瀬戸内の島ではない。紀伊水道やなると海峡よりも外側、太平洋側となる。集落のあちこちに津波の予想高さの看板がかかげてある。
先にも述べたが、沼島はイザナギ、イザナミという神話の世界からの島ということで、それにちなんで「おのころ神社」がある。細い山道を登っていくとその先に真新しい石段が築かれ、頂上にはこじんまりした神社があった。
石段の脇には・・・・
という石碑が。「おのころ」と読むのでしょうね?また、神社の裏にはイザナギ・イザナミの立派な石像がありました。
島内のあちこちには樹木の繊維ような肌をした原石が多くある。あまり他所では見かけない岩だ。
次に訪れたのは、鎌倉時代にこの島を納めていた梶原景時の墓と言われている五輪の塔。梶原景時は源平合戦の時代、水軍を率いて戦ったとのこと。島の歴史は古そうである。
その五輪の塔のすぐ下には周囲を八角形に石で囲った、大きな井戸がある。沼島は井戸を掘っても元々真水が出なくて、塩混じりであったとのことで、現在は淡路島より、水道を引いている、水道だけではなく、電力も、通信も、海底ケーブルで来ているとのことだった。沼島にいると、まるで淡路島が本土のように感じてしまう。
更に、井戸の隣には室町時代に10代将軍足利義植によって作られたといわれている沼島庭園がある。民家の格子戸を開けて、入っていくと奥には山の斜面を利用し、池に石橋を渡した庭園があった。
船が着く時間が迫ってきたので、町中を抜けて船着き場の方へ戻ることにする。
帰りは集落の中の細い道を通って来ると、八幡神社、神宮寺がある。結構大きな神社や寺である。
神宮寺には非常に珍しいといわれている三面の鬼瓦が庭に展示されており、また句碑もある。
さらに船着き場へ向かう途中には、弁財天神社、船着き場の対岸には神明神社などがあり、この小さな島の中にこんなにたくさんの自社があるのである。天候や潮に左右される漁業の島であるだけに、神仏にすがる心がわかるような気がする。
集落の中で発見した共同井戸。通りの真ん中にあり、流し台なども整備され、きれいに整頓されている。日頃は近所の人たちの井戸端会議の場になっているんだろうなと思う。
これは沼島の中心となる市民センター。
わずか1時間弱の散策ではこれぐらいしか歩けないが、沼島にはこのほかに、沼島八十八カ所礼状巡り(4~5時間コース)や、高さ30mの岩が会場にそそり立つ「上立神岩」、世界的に有名な地層「鞘型褶曲」などがあり、夏場は海水浴場もあります。港近くには民宿もあるので、1泊2日くらいで来ると、十分楽しめるのではないかと思います。
自分にとって、「沼島」は淡路島の南にある小さな島という以外のイメージしかない。唯一高校生の時に、生物部のメンバーが毎年ここにキャンプをしにきて、磯で生物の採集をしていたという記憶がある。色々な生物が豊富で、部員は楽しんできているようであった。
今回は、自動車と連絡船にてここへ来ることが出来たが、大阪方面からここまで来るには公共交通機関を利用してではちょっと厳しい状況がある。淡路島には電車は走っていないので高速バスの利用となるが、沼島へわたる連絡船が出ている「土生」(はぶ)の港までは、高速バスから一般道の路線バスに乗り継ぎ、さらに、南あわじ市のコミュニティバスを利用し、そして連絡船となる。日帰り行程を検討したがかなり厳しかった。>
しかし、所用ついでの散策ではあったが、島内の周遊道路や、南側の多くの岩礁、まだまだ見るところがあり、磯遊びや魚釣りなど非常に魅力ある島であることがわかった。次にまた来る機会があれば周遊道路散策と、磯遊びをしたいものだ。


