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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

書評「ダイヤモンドダスト」

「ダイヤモンドダスト」(南木佳士)1988.9 第100回芥川賞

 著者の南木佳士氏は1951年群馬県生まれ、現在長野県南佐久郡臼田町の佐久総合病院の医師である。
 この著者および作品に出会うきっかけとなったのは、八千穂高原へスキーに行ったときなじみのペンション「ラ・ルゥ」のオーナーが紹介してくれたからである。オーナーがこの本にはこの近く(八ヶ岳、佐久周辺)の話題が多いからとのことで読んだというその短編集には確かに、氷上のわかさぎ釣りの話や、信州の話題が豊富であった。またその作風もペンションのオーナーの雰囲気に結構合っていると思った。

 ダイヤモンドダストのあらすじは病院の看護士をやっている主人公和夫の幼い時から現在に至るまでの話である。父親の松吉は電気機関車の運転士だったが、退職してからは、脳溢血を煩い、体が少々不自由である。息子の正史は保育園へ通っている。この男ばかりの家庭になったいきさつがまずある。和夫の母は和夫が小学校4年生のとき肝炎でなくなった。妻俊子は正史を産んで4年後がんで死亡した。和夫の病院に入院してきたアメリカ人の宣教師マイクもまた死亡していく。同じ部屋に脳卒中が再発して入院した松吉との交流の中に深いものがある。マイクとの約束から松吉は水車を作り出す。12月の凍てつく朝、心棒が凍てついた氷の重みで折れた水車の前で松吉は倒れていた。冬の寒い朝によく見られるダイヤモンドダストが天空へ舞い昇っていた。
 静かな風景である。「死」とは何か?ということを表そうとしている。それは風が吹くみたいにふいにやってくるものだ・・・と和夫の母を見取った医師が言う。
マイクは不治の病に侵され、だれしもが悲観に暮れる状況になっても常にまわりに対する心遣いを忘れなかった。生きるとはそういうことなのかも知れない。
マイクと松吉、合うようには思えない二人の交流とマイクの言葉をきっかけとした松吉の水車作り。水車を作ったこともない松吉を水車作りに駆り立てたのはマイクとの交流の中でかつて、地元新興の案の一つであった水車作りの話が出て、それをマイクが勧めたからである。これが生きる力である。
しかし、最後には水車も朽ち、松吉も倒れてしまった。死は全てに平等に与えられることが約束されたことなのである。
 「いかに生きるか」は「いかに死ぬか」と同義語だ と思う。目を見開いてきたるべき「死」を見ることは非常につらく、また苦しいものである。しかし、その本質を見抜き、来たるべき時にどのような態度をとるかを考えることは非常に大切なことと思う。なにげなく聴き過ごしてしまう一言の重さ。ささいな一つの行為の深遠さ。これらを受け、気づくこと、またそれらを発することが出来ること。それが生きることであると感じた。

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