
この物語りの主人公である家政婦は、博士の数学の数々の説明を聞くうちに数学に興味を抱き図書館へも調べに行くようになる。博士の説明はすばらしく文学的で美しい。数学、とくに”数”というものは殺伐とした味気無いものであるというイメージが私にはある。いや、恐らく世の多くの人達はそう思っているのではないだろうか?しかしこの小説に出て来る博士の”数”や”数式”の説明はそれはすばらしく優しい、なかには擬人的な表現まである。この並々ならぬ数に対する思い入れを読めば博士がすばらしい数学の権威であったことが理解できる。
博士のもう一つの特徴は、先にも書いたが、子供に対する無限の愛情である。家政婦と二人のときはそっけなくマナーも知らず過ごす博士は、家政婦の息子である、ルート(博士が家政婦の息子に付けた愛称)が来ると突然態度が変わる。きっちりした大人になる。そして、子供は保護されなければならないという気持ちからルートを大切にそして、精一杯愛するのである。
小説のクライマックスは家政婦と博士の義姉とのいさかいの場面。子供をいじめてはならない!という言葉とともに3人の前に博士のが提示した数式。それはオイラーの公式であった。なぜオイラーの公式なのか?家政婦が図書館でしらべても、詳しい事まではわからないのだが、この家政婦のオイラーの公式の見方がそのすべてなのである。殺伐としたドライな数式、それを構成するひとつひとつの定数の持つ性質を表現し、そしてそのかかわり方を解いて行く。数学的ではなく文学的に。この解説が実はこの小説のすべてを表している。


