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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

佃島散策

 「もんじゃ」を食べに月島へ行った。わが憧れのSさんと一緒である♪月島は都営地下鉄を乗り継いですぐの所だ。「築島」が変わって「月島」となったとのことで、このあたりは、埋立地なのである。むかし江戸幕府が出来る前、徳川家康に協力した、大阪の西淀川区の住民(このあたりにも”佃”の字がつく地名がある)が江戸によばれ、墨田川河口の中洲に住むようになったという。

 その後その周辺は随分埋立が進み、南に向かって広大な土地が作られて行った。佃島はその埋立地の北端になり、古い町並みと細い路地がたくさん残されている。このような細い路地の一角で、子供相手の「もんじゃ」が昭和初期あたりに発祥したとのこと。餅、野菜、チーズ、魚介類、肉・・・その他色々な食材が、「もんじゃ」の具として試されている。今はひとつ1000円以上する高級?料理だが、その昔はもっとシンプルで安かったのではないかと思う。ベースとなる小麦粉を溶いたものも、大阪の「お好み焼き」に比べるとはるかに薄く、シャブシャブである。これを炒めたキャベツの土手の中に流し込み固まらせて小さなコテで固まった都度食べて行くのだ。最後に鉄板にこびりついた「おこげ」もおいしい。味付けのベースはスルメであり、ダシには何がはいっているのかよくわからないが、なかなか美味しい。この”ダシ”が恐らく各店の秘伝なのであろう。
 さて、月島のは、どんな街かというと、まず地下鉄月島駅の南に出る。月島の西仲通り1番街から4番街が、月島駅を起点に南に一直線に伸びている。商店街のアーケードは意匠が統一され、レトロな形の該当やベンチが置かれていて、大正モダン風の雰囲気を出している。
月島西仲通り
その通りの両側に「もんじゃ」屋がひしめいているのである。よくぞこれだけあるものだと思うほど林立しているのである。ま、普通これだけ同じ商品を扱う店があれば共倒れになると思うのだけど、そうでもないみたいだ。
駅前びるにももんじゃさん モンジャやさん
ガイドブックには星1つから5つまでランク分けされて紹介されているが、午後2時過ぎという中途半端な時間帯であるにもかかわらずどこの店もけっこう客がはいっている。私達は、ガイドブックでは比較的高い評価が与えられている店に入った。店の中は関西のお好み焼き屋と同じような(入った店はお好み焼きもやっている)鉄板の仕込んであるテーブル席が10卓ほどあり、その半分ほどが客で埋まっていた。アルバイト風のお兄さんが、大きなビニール袋を持って来て、この中に上着を入れてくれという。「もんじゃ」の匂いが服に染み付くのを防ぐためとのこと。さて、メニューは?これがまたたくさんある。単品からコースメニュー、そしてトッピングが単品で非常にたくさん用意されている。餅、肉、練り製品、魚介類等々。私は「もんじゃ」は初めて、彼女ももんじゃは2度目とのことで、よくわからないのでとりあえず”海鮮もんじゃ”と、イギリスのビールをたのむ。
ビール
 実は、この店に到達するまでに、月島の商店街を一巡りしたのだが、ある、「もんじゃ」屋のメニューに「ホッピー」という飲み物があった。私は初めて聞く飲み物なので、、彼女にこれは何なの?と聞くと、ノンアルコールビールに焼酎のようなきついお酒をいれたもの?とのことであった。飲んだことはないので飲んで見ようといっていたのだが、残念ながら入った店には「ホッピー」はなかった。
 「もんじゃ」の材料がボールというか丼というかそんな入れ物に入ってきた。作り方が分からないので材料を持って来てくれたお姉さんにお願いして作ってもらった。お姉さん(お嬢さん?)は、作り方を解説しながら手際よく作って行く。解説のなかには、ノウハウももりこみ、なかなか手慣れたものである。私は作っているところを写真におさめていたが、彼女がお姉さんもいっしょに撮ったら?という。お姉さんは固く辞退していた。
 さてここで、教えてもらったもんじゃの作り方を披露する。まず、暖めた鉄板に油を引く、出しの滴を鉄板の上におとし、瞬く間に玉になれば鉄板の温度は理想的。丼の一番上に乗せてある”するめ”の細長く削ったものをまず鉄板に落とし十分炒める。(これがこの店の「もんじゃ」の基本的な味付けのようだ)その後、海鮮の具をすべて鉄板に乗せ炒める。そして、次に入っているキャベツの短冊切りのものを乗せ、大きいコテで、切り刻みながら炒める。これが二つ目のノウハウ。キャベツは、十分切り刻んでよく炒めることにより、甘みが増し美味しいとのことである。これらが十分炒められた後、この具で周囲に土手を築く。丸く具の真ん中を空けるのだ。
もんじゃ1
そして、丼に残った”ダシ”をその土手の中に入れる。”ダシ”は3回にわけて入れる。1回目を入れ、しばらくおいてとろみが出ると、2回目、3回目といれて行くのだ。この”ダシ”は小麦粉をごく薄く水でといで、味付けしたもののようで、鉄板に流すとしばらくすると固まって来るのだ。このどろどろした出しを土手部分のキャベツや、海鮮とまぜ、よくからめて小さい(ほんとうにちいさい)コテで食するのである。お好み焼きのように完全に固まりになるのではなく、どろどろとした状態で食べるので、人によっては見た目で嫌悪する人もいるかも知れない。
モンジャ完成
 できた「もんじゃ」はけっこうおいしい!鉄板は常に火が入っているので「もんじゃ」はだんだん固くなってそのうちに「おこげ」になって来る。これもまた香ばしくっておいしい。ここで、スルメの味が引き立ってくるのである。彼女と二人で夢中で食べてしまった。「海鮮もんじゃ」¥1,380円であった。もんじゃ初体験それも本場「月島」でだ。あーなんという贅沢!満足しました。
 さて、「もんじゃ」の後は佃島散歩だ。月島の商店街を歩き、路地の写真など撮りながら駅の北へ向かう。
炉地道 路地道2
昔ながらの佃島は、月島の駅の北西の一角なのだ。ここ佃島にはあまり背の高い建物は見当たらない。というか、佃島のまわりに超高層ビルが林立しているため、比較すると高く見えないのだということが後でわかった。
 佃島の昔ながらの一角には、住吉神社、佃煮屋、渡し場跡、灯台(復元)、そして昔ながらの下町風情がある。
こいけさん 住吉のフナだまりのみ フナだまりの上は高層住宅
住吉神社には、レトロなレンガ作りの倉庫や、鰹塚、浮世絵師「写楽」終焉の地の石碑などがあり、なかなか興味深い。
とうばんのかんばん かつお塚 とうしゅうさい写楽終焉の地
運河にかかる佃小橋や、その下に係留されている船の風景も佃島らしくってよい。住吉神社は裏側から入ったので、表の鳥居の方へ抜ける。鳥居の額は磁器の板であった。鳥居を抜けて真っすぐ行くと墨田川べりに出る。そこを右に曲がると運河を越える橋があり、その先に昔の灯台の復元されたものがある。見た目はちょっと不似合いだ。さらに墨田川沿いに北に向かうと目の前には巨大なマンションが。佃島の下町風情とは対象的な風景である。
灯台
 来た道を戻り昔ながらのたてものの佃煮屋へ入る。アサリ、するめ、小魚、しらす、昆布などの佃煮が桶に入れられて量り売りされている。本場の佃島の佃煮だけに結構お高い。アサリとシラスを買い店を出る。店の前には佃島の渡し場の跡の碑があった。佃島橋が出来るまでは、最盛期には1日70便の渡し舟が通っていたとのこと。展示されている昔の船の写真を見ると当時の風景が忍ばれます。
つくだにやさん 渡船跡
 佃島の散策をして、東京の町中にもこんな親しみの持てる場所があるのかと感慨深かったです。

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コメントコメント


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ワタシが新橋の某店でおやぢに囲まれてた時に四方山さんはおねぃちゃんと??シクシク・・・激怒。
 
佃島は元々尼崎の佃に居た漁師を東京に移住させた事からついた地名で「佃煮」の味の由来も同様でそもそも関西の味なんです(薀蓄一発目)。
 
 そこから推定するにもんじゃもそもそもお好み焼きが変化した食い物であると思うのですが流石に根拠は有りません。
 実はワタシ「もんじゃ」なる物を食った事が無いと言うか何事も見た目で判断するので現役都民としても食いませんです。
 だし「粉物食物」は庶民の食い物でありンナもんに千円近い代金を払う事自体が許せないです。
 え?「じゃ養老うどんは?」。
ありゃ人生最大の失敗ですな・・・と未だに養老うどんでブログ出汁を取ってますけどね(涙)。
 

うんちく | URL | 2009年01月29日(Thu)23:11 [EDIT]


うんちくさん
 すみません、養老うどんのくだりは知らないのですが・・・・。
 現役都民は「もんじゃ」たべないんですか?石原新太郎の影響なのですかね?「もんじゃ」が都民の間でどんな評価があるかは、都民でないのでよくわかりませんが、”食”は文化とよく言われます。「もんじゃ」が都民に排斥?されているのであれば、「もんじゃ」が関西発祥の流れを汲む物であれば、それは関西と関東の溝の深さを表しているのでしょうかね。
 人生は難しい!

四方山果無 | URL | 2009年01月29日(Thu)23:31 [EDIT]