

私は子供の頃両親が共働きだったため、母親の実家の近くにあった保育園に一時あづけられていたことがありました。朝、母親が私を自転車の後ろに載せ、保育園へ送りとどけてから仕事に行きます。保育園が終わると、母方の祖父もしくは祖母が保育園まで迎えに来て母の実家につれて行かれます。そこで、夕方母親が迎えに来るまで従兄弟や近所の友達と一緒に遊んでいました。夕方になると母親が自転車で実家に寄り、私を載せて自宅へ帰って行ったのです。
さて、実家の近くにはこの「荒神社」と「地蔵堂」があり、歩いてすぐのところだったのでよく遊びに行っていたものでした。

当時、私にとっては、母親の実家から、「荒神社」までが自分の世界であり、そこ以外には行ってはいけないという認識があったのです。神社のエリアから外は全く未知の世界だったのです。
「荒神社」は当時の私にとって素晴らしく胸踊る場所なのでした。
鬱蒼と茂った森、登りやすい大木や神秘的な社、隣には小さな池がありそこではよくザリガニ釣りをしていました。秋になると、樹木からぶら下がっているエンドウマメのようなものをとったり、鳥居の横にある「地蔵堂」の石段に無数にある、「雨だれ」によって穿たれたくぼみでビー玉遊びをしたものでした。
保育園へあずけられていたのはわずか1年でしたが、その後も母親の実家へ行くたびにこの「荒神社」へ遊びにいっていました。いつしか実家へ行く機会は少なくなり、昔遊んだこの場所も記憶が薄れてきていました。
数年前、転勤で自宅に帰ってきて、大阪方面まで電車通勤をするようになったある日、電車の窓から何気なく外を見ていると、大きなマンションや住宅の間に小さな森があることに気づきました。それは、かつて私が遊んでいた「荒神社」なのでした。そのことに気づいた時以来、もう一度訪れてみたい!という気持ちが強く湧いてきたのです。
そして、やっと先日その希望が叶ったのです。・・・といってもそんな大層なことではなく、行こうと思えばいつでもいける距離なのですが・・・。私の気持ちとしては、行きたい気持ちは山々だったのですが、何だか行きたく無い気持ちも実はあって、たぶんそれは、昔の思い出が崩れてしまうのが怖かったのかもしれません。しかし、とうとう行ってしまったのです。
私の大切な思い出がしまってあるその場所は・・・・。今はマンションや住宅に囲まれ、「こんなに小さな場所だったのか」というのが第一印象でした。私がそこから出てはいけないと思っていた境内のその先は昔は延々と林や畑があったと記憶していたのですが、今は住宅地がずっと向こうまで続いています。隣にあった小さな池も十数年前に子供が落ちて亡くなってから、すぐに埋め立てられてしまったとのことでした。
でも、木登りをした大木(今見るとそれほど大きくもないけど・・・)や、木の下に散在している崩れた「五輪の塔」の石、古木に注連縄を巡らした山門などは昔の姿のままでした。
そして・・・・昔遊んだ「地蔵堂」の石段のくぼみも。
石段のそばにしゃがんでビー玉をくぼみに入れている子供の頃の自分の姿が目に浮かんで来てしまいました。
なんと長い年月離れていたことか。今の自分はあの頃の自分からどれほど隔たってしまったのか・・・。なんてことを思いながら、久しく昔の自分に立ち返ったひとときでした。


