
今日はお世話している五ヶ井土地改良区の令和4年度最初の「用排水調整委員会」が開催された。
最初であるので、副業の会社勤めを休み、参加する。
委員会に先立ち、「初検分」が実施された。
「初検分」とは、初めて行われる、実際に立ち会っての確認・・・というような意味か?”検分”なんて言葉には昨今出あったことがない。
この「初検分」、用排水調整委員になった年に初めて参加したのだが、その後は例のコロナ禍で実施されなかったのだ。3年ぶりとなる。
五ヶ井土地改良区のM事務局長が言っていたが、これに参加した経験のある人は2人しかいないとのこと。

これが本日確認して回る、ルート。

スタート地点は加古川大堰下流左岸の加古川大堰記念公園。五ヶ井用水はかつては加古川本川に設けられた「五ヶ井堰」より取水されていたが、洪水流の疎通を妨げるとの理由で撤去され、その代わりに現在は加古川大堰により取水されている。

取水された水はここ、平松地点で堤防下を潜り、堤内に入って来る。毎年6月10日に「通水式」を行う場所だ。

堤防を出た所の水路。
右側が”五ヶ井用水路”そして左側に少し見えているのが”新井(しんゆ)用水路”です。
(新井用水についてはまた別の機会にご紹介します)

この五ヶ井用水路は別名、”郷の川”と呼ばれており、1960年代の後半に開発された新興住宅地である”神野団地”の南縁に開削されている。(現在加古川大堰の設備点検のため取水は停止されているので水路に水は無い)

水路のほぼ真ん中あたり、JR加古川線の神野(かんの)駅の近くに五ヶ井水路改修記念碑がある。昭和53年3月(1978年)竣工とある。恐らく、かつての素掘りの用水路をコンクリート張りにしたのだろう。

用水路は全長約2.5キロ、終端部は曇川に合流している。中小河川の曇川と用水路が一体となり(曇川を用水路として使って)、曇川樋門に至り、そこで”荒ヶ瀬樋門”という4つの水路に分派され、加古川市内の水田に灌漑しているのである。
ちなみにこの2.5キロほどの用水路は五ヶ井用水で灌漑されている加古川市内23地区の農業者によって維持管理されている。

洪水時には曇川樋門を操作することにより、加古川大堰で取水された灌漑用水と、元々の曇川の流水はすべて加古川本川に流出させることになる。曇川樋門は排水樋門であるが、五ヶ井の農業用水の補給量も調節しているのである。
これは恐らく加古川大堰が出来るずーっと以前、五ヶ井用水が出来た時よりそうだったのであろう(ほかに用水路は存在しないのだから)。

(神野団地の南側には美しい麦畑が広がっています)

ここが曇川との合流点です。曇川が増水した時、逆流して間の地区が浸水しないように、樋門ゲートと小さい排水機場(右側にチラリと写っている設備)が設置されています。出水時には加古川大堰からの取水も当然止まります。

そしてこれが曇川、初検分の終点です。
五ヶ井用水は曇川を約800メートル流下し、曇川樋門(荒ヶ瀬樋門)に到達します。
(この曇川もなかなか興味深い河川です。また別の機会にご紹介したいと思っています)
最初であるので、副業の会社勤めを休み、参加する。
委員会に先立ち、「初検分」が実施された。
「初検分」とは、初めて行われる、実際に立ち会っての確認・・・というような意味か?”検分”なんて言葉には昨今出あったことがない。
この「初検分」、用排水調整委員になった年に初めて参加したのだが、その後は例のコロナ禍で実施されなかったのだ。3年ぶりとなる。
五ヶ井土地改良区のM事務局長が言っていたが、これに参加した経験のある人は2人しかいないとのこと。

これが本日確認して回る、ルート。

スタート地点は加古川大堰下流左岸の加古川大堰記念公園。五ヶ井用水はかつては加古川本川に設けられた「五ヶ井堰」より取水されていたが、洪水流の疎通を妨げるとの理由で撤去され、その代わりに現在は加古川大堰により取水されている。

取水された水はここ、平松地点で堤防下を潜り、堤内に入って来る。毎年6月10日に「通水式」を行う場所だ。

堤防を出た所の水路。
右側が”五ヶ井用水路”そして左側に少し見えているのが”新井(しんゆ)用水路”です。
(新井用水についてはまた別の機会にご紹介します)

この五ヶ井用水路は別名、”郷の川”と呼ばれており、1960年代の後半に開発された新興住宅地である”神野団地”の南縁に開削されている。(現在加古川大堰の設備点検のため取水は停止されているので水路に水は無い)

水路のほぼ真ん中あたり、JR加古川線の神野(かんの)駅の近くに五ヶ井水路改修記念碑がある。昭和53年3月(1978年)竣工とある。恐らく、かつての素掘りの用水路をコンクリート張りにしたのだろう。

用水路は全長約2.5キロ、終端部は曇川に合流している。中小河川の曇川と用水路が一体となり(曇川を用水路として使って)、曇川樋門に至り、そこで”荒ヶ瀬樋門”という4つの水路に分派され、加古川市内の水田に灌漑しているのである。
ちなみにこの2.5キロほどの用水路は五ヶ井用水で灌漑されている加古川市内23地区の農業者によって維持管理されている。

洪水時には曇川樋門を操作することにより、加古川大堰で取水された灌漑用水と、元々の曇川の流水はすべて加古川本川に流出させることになる。曇川樋門は排水樋門であるが、五ヶ井の農業用水の補給量も調節しているのである。
これは恐らく加古川大堰が出来るずーっと以前、五ヶ井用水が出来た時よりそうだったのであろう(ほかに用水路は存在しないのだから)。

(神野団地の南側には美しい麦畑が広がっています)

ここが曇川との合流点です。曇川が増水した時、逆流して間の地区が浸水しないように、樋門ゲートと小さい排水機場(右側にチラリと写っている設備)が設置されています。出水時には加古川大堰からの取水も当然止まります。

そしてこれが曇川、初検分の終点です。
五ヶ井用水は曇川を約800メートル流下し、曇川樋門(荒ヶ瀬樋門)に到達します。
(この曇川もなかなか興味深い河川です。また別の機会にご紹介したいと思っています)
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