
(これは3月10日に発見したものです)
別に信心深いわけではなく、単に古いものに興味があるだけなんですが・・・
以前、朝の通勤の時、大阪駅から西天満にある会社まで、色々と歩くコースを変えているってことを書きましたが、今日はこんなのを見つけました。

白木の鳥居がある小さな屋根。
玉垣もあるので神社のようです。

しかし屋根の下にあったのはこんな大きな自然石の石碑でした。

由緒書によるとここは”天明社という神社がかつてあった場所だそうです。神明社とは天照大神と豊受大神という神話の世界の神さんを祭ってあった場所で、1481年、嵯峨天皇の皇子が営業を開始したとのこと。かつては”日本七神明”として有名な大きなお宮だったそうです。
源義経や後醍醐天皇なども信仰していたとか。
足利の世になり、兵火などで焼かれ、暫時衰退してゆき、明治40年(1907年)、お初天神と言う名前で有名な”露天神社”に吸収合併されたそうです。
まあ、来歴などはあまり興味はなかったのですが、この由緒書きの中に、ここ西天満伊勢町にある孤島に社屋が作られたと書いてあったので、かつてはこの辺りは海の中やったんか-と感慨深く思った次第でした。
別に信心深いわけではなく、単に古いものに興味があるだけなんですが・・・
以前、朝の通勤の時、大阪駅から西天満にある会社まで、色々と歩くコースを変えているってことを書きましたが、今日はこんなのを見つけました。

白木の鳥居がある小さな屋根。
玉垣もあるので神社のようです。

しかし屋根の下にあったのはこんな大きな自然石の石碑でした。

由緒書によるとここは”天明社という神社がかつてあった場所だそうです。神明社とは天照大神と豊受大神という神話の世界の神さんを祭ってあった場所で、1481年、嵯峨天皇の皇子が営業を開始したとのこと。かつては”日本七神明”として有名な大きなお宮だったそうです。
源義経や後醍醐天皇なども信仰していたとか。
足利の世になり、兵火などで焼かれ、暫時衰退してゆき、明治40年(1907年)、お初天神と言う名前で有名な”露天神社”に吸収合併されたそうです。
まあ、来歴などはあまり興味はなかったのですが、この由緒書きの中に、ここ西天満伊勢町にある孤島に社屋が作られたと書いてあったので、かつてはこの辺りは海の中やったんか-と感慨深く思った次第でした。
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