2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

思い出の中河内

 もう35年ほど前になるだろうか、就職したての頃、ここへは結構よく来た。滋賀県の北端、福井県との県境に近い滋賀県伊香郡余呉町中河内。今では市町村合併により長浜市となっている。就職して最初の赴任先が滋賀県大津にある琵琶湖を管理する事務所であった。琵琶湖から流れ出る水量を制御するための堰を持つこの事務所では琵琶湖流域に降る雨や雪の観測をして琵琶湖への雨水の流入量の予測、しいては瀬田川、淀川への放流量の決定をするために多くの雨量観測所を琵琶湖回りに設置していた。そのうちのひとつがこの中河内にあった。

中河内観測局は夏場は雨量、冬場は積雪を観測しており、その施設が中河内小学校の校庭にあった。当時は何ヵ月かに1回その施設の点検に行き、また、観測データが途切れた時は修理にも行っていた。大津市の南部にある事務所からは高速道路を使っても3時間近くかかっていた最も遠い観測局であった。
中河内小学校は当時1年生から6年生まで全て会わせても6名しか生徒は居なかった。冬場は雪に閉ざされる地域のため、生徒達は公民館に寄宿しており授業が終わっても学年はそれぞれだったが、みんなで夕方まで
学校で遊び、先生の居る職員室にも先生を慕って出入りしてきていた。とてもアットホームな雰囲気があり、また反面、生徒が少ないため少々寂しさもただよう雰囲気があった。
中河内小学校の先生は二人。校長先生は木之本の小学校の校長が掛け持ちしていた。先生のうち一人は若い女の先生でとても美人で親しみやすい方だった。生徒たちもよくなついていてまるで友達のようであった。
私が職員室にある雨量記録計の点検にいくと、いつもお茶を出してくれ、短い時間ではあるがほんの少し会話をしたり楽しいひとときであった。恐らく年齢は当時の私とほとんど同じくらいだったと思う。点検や修理に行ってもいつも会えるわけではなかったし、とても遠い観測所であったが、当時はそこへ行くのが楽しみであり、不謹慎にもまた観測機器が壊れないかなと思っていたりしていたものだった。上司であるM主任もこの事を知っており私が中河内へ行くたびに冷やかされたものであった。
小学校はその後生徒が更に減り数年後には休校になった。生徒達は麓の木之本にある小学校へ転校となり、そこでも寄宿舎に入っているとのことを聞いた。地元に住んでいる方々は自分達が通った小学校がなくなってしまうということについては大きな落胆であったらしく、また、いつの日か生徒達が戻ってくるということを切望して廃校ではなく休校にしたとのことを後で聞いた。
久しぶりに訪れた中河内。小学校の建物は随分前に取り壊されたとのことで、跡地は空虚な広場になっていた。校庭の先にあった積雪計は設備が新しくなっており、その横にある朽ちかけた百葉箱のみが当時を伝えていた。
若く美しい先生と取り巻く子供達、30数年前の淡い思い出と容赦無い時の流れを感じさせられた場所であった。
百葉箱

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