川上真楽寺からの帰り道、以前車で通った凱旋池、萬歳池を再び訪れた。
目的は両ため池を結ぶ水路とサイフォンを見たかったからだ。
農免道路の”向”交差点から更に西へ行き、東播磨高校の方へ右折する。高校前を通過し、更に北へ。
中一色交差点手前を左折し、萬歳池の南側道路を奥へ行くと、萬歳池と凱旋池をかつてつないでいた水路の跡へ突き当たる。
その横にある小さなブロック小屋の横に車を停めて、そこから歩いて萬歳池堰堤に登る。

これが両ため池を結んでいた水路の跡だ。

所々、土砂が削られているがまだその姿が残っている。

まず、萬歳池の堰堤に上がってみる。

堰堤のすぐ横に接続水路が伸びて来ていて、一部切り欠きがある。その池側には流入工のような構造物があるので、ここが池への流入口かも知れない。

少し離れたところに、これもレンガ造りの四角い枠がある。これは灌漑用の流出口か?よくわからないが、レンガ造なので、かなり古いものではないかと思う。

再び接続水路に戻り、今度は凱旋池へ行く。

接続水路の土砂が取られた所には水路断面が判る張りコンクリートがあった。この張りコンクリートは池が築造された時では無く昭和に入ってから補修した時に貼ったのだろう。

こちらが本日見たかった構造物である接続水路のサイフォン工!埋まったり、破壊されたりしているので、その全貌は判らない。

更に歩いて凱旋池の堰堤まで来る。凱旋池の周囲にも水路跡と思われる部分がある。
実はここで一人の地元の方(Mさん)と遭遇した!挨拶して、何の写真を撮っているのかを話していると、色々と昔のことを教えてくれる。凱旋池の周囲の水路跡のような痕跡はMさんが子供の頃には水が流れていたとのこと。
接続水路は赤土で丁寧に作られており、どこかから土を持ち込んで作られたようであるとか。
そして、実は今まで探していた曇川からの揚水をした二か所の場所、その一つの場所がMさんの言葉の中から出てきたのだ。
それはもう現在は無いが、昔、まだ存続していた時には子供たち(小学生)が沢山見学に来ていたという。

それがこの地点だ。
いなみ野台地の高位段丘の下と思われる場所。

そしてその下には、少し前まで曇川からの水を電気でポンプアップしていた集水井とポンプ小屋があった。(機械が故障して何年か前からは使用していないとのことだった)
この集水井は大正の時代からのもの、もしくは曇川からの導水路(暗渠)が再利用されているのではないかと思った。
取水場所は曇川の「青の井」とのことだったので昔と同じ場所である。
これからもう少し調査して確証を得たいと考えている。

その後、案内していただいたのは現在ポンプアップしている水を受ける集水井でした。

かつてのレンガ造りの集水井跡地から曇川を見た所です。
かつて稲美町の人々は大変な苦労をして稲作をしていたのだなと改めて思ったのである。
Mさんとはここで別れたのだが、また疑問点が出てきたらお教えいただきたいとお願いしたのであった。
今日は大きな収穫があったと思っている。