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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

イチゴの苗の確保

先日よりイチゴの苗の確保をしているが、昨日、もともと、我が家にイチゴ苗を提供していただいたご近所さんから電話があり、イチゴの苗はあるか?とのこと。
来年の植える分20株は取っているというと、余分に無いかと問われる。
どうやら、畑が水没し、うまく取れなかったらしい。
子株
イチゴ苗はイチゴがもう成らなくなった後、元気の良い、おいしいイチゴが出来た株(親株)を畑などに移植し、日よけをして、ランナーを出させ、それを小さな苗用植木鉢に引き留めて、根を張らさせるのである。
イチゴ苗
前回、植木鉢に誘引したもので、元気なものはランナを切断し。11月頃まで育てて、その後「地植え」するのである。
日よけ
こちらも強い日光に当てると枯れてしまうので、日よけを被せている。
この日はさらに、10株ほど植木鉢に誘引しておいた。
多くの株が取れればいいのだが。

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早朝散歩(加古川大堰右岸下流)

(8月30日の記事です)
今日は加古川大堰の右岸側下流へ行く。
美しい朝焼けです。
加古川大堰記念公園の駐車場にミッドシップ2シーターAWD(軽トラ)を停め、加古川大堰を渡る。
朝焼け
右岸側下流から大堰を見た所です。
行きは高水敷のマラソンコースを歩き、帰りは堤防の上を歩くことにする。
大堰
10.8kpに危機管理型水位計と簡易カメラがありました。
簡易カメラと水位計
右岸側下流も河川公園になっており、野球場やテニスコート、そしてイベント広場などがあります。
河川公園
片道4000歩まで歩きます。
兵庫県企業庁東播磨利水事務所 養老ポンプ場のところで4000歩でした。
向こうに見えているのは池尻橋です。
歩いていると自転車に乗った高校生が沢山。背中には我が母校の名前が・・・。
おそろいのTシャツはボートのラダーのマーク。漕艇部が出来たのかも知れない。
加古川大堰右岸の少し上流部には漕艇のコースがあり、艇庫などがある。
池尻橋
ポンプ場横からターンして車の場所まで戻ります。
加古川大堰記念公園の中にあった、説明看板です。
上水道、工業用水、農業用水と、利水面でも重要な役割を果たしているものだなと思いました。
集水エリアの図
次回は大堰右岸上流へ行ってみたいと思います。

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ぼちぼち畑の整理を

(これは昨日29日の記事です)
(最近生活を朝型に変えたので、夕食後はすぐに眠くなる。基本的には21時には就寝しています。なのでその日の日記が翌日送りになってしまいます。ま、これまでも、1週間まとめて週末に書いたりしていたので、それほど変わりはないのだけどね。💦それで、朝は3時に起床しているんですが、早朝は静かで涼しくて結構快適です。
 早朝に起きてから世間が明るくなるまでは、読書したり、文章を書いたりしています。明るくなってくると(最近は5時半頃
)樋門当番、田の水管理、畑の灌水、早朝散歩と続きます。その後、農作業をやるときは昼前まで、やらない時は早々に風呂に入って文書作成の続きをやっています。午後からはほぼ休憩(暑いから)、夕方から再び畑のお世話をしています。
 29日は先日収穫してしまったカボチャエリアと冬瓜エリアの整地をしました。
これが施工前
冬瓜畑
何が何だかわからないでしょ。一面草でおおわれているのですよ。
草の繁茂
一雨ごとに草が伸び、それに冬瓜の蔓が巻き付いて、草取りすると、冬瓜の蔓がちぎれてしまう。だから放置せざるを得なかったのです。(と言い訳しています)
整理
朝から渾身の力で持って、すべての草と、冬瓜の蔓を引っぺがしました。
ここには来週あたりに秋ジャガを埋める予定です。
草とったやつ
それで、取った草がこれだけ。一山出来てしまいました💦
梅の木の下
梅とミカンの木の下にあったカボチャ畑も撤収しました。
とてもスッキリしましたよ。
しかし、夏場は草との闘いが延々と続きます。
蓮の花
蓮の花が咲いています。今年は遅掛けに花盛りとなっています。

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早朝散歩(国包へ)

(これは8月29日の記事です)
今日の早朝散歩は加古川大堰上流の国包水位観測所まで行ってきた。
草谷川樋門
スタートは草谷川樋門近くの加古川大堰記念公園からです。
加古川大堰上流
加古川大堰上流左岸水位計。
そして上荘橋を潜り・・・
上荘橋
JR加古川線の鉄橋を潜ります。
ちょうど電車が来ました♪
加古川線の車両
レンガと石を積み上げたレトロな橋脚です。歴史を感じさせますね。
歴史を感じさせるピア
上流の川面から見た鉄橋です。またまた電車に遭遇。
日中は1時間に1本になってしまったけど、朝夕の本数は少しだけ多い。
鉄橋
国包(くにかね)の渡し跡発見!
国包渡し跡
説明書きによると、個々は「有馬街道」(湯之山街道)と言われる非常に重要な道筋で、伊豆・幹・国包・井ノ口・志方・姫路を結んでいたとのこと。加古川の町中を通る「西国街道」の裏街道とも。
また、加古川舟運の船着き場としても栄えていたらしい。
原文2年(1737年)の村明細帳によると、大工、桶屋、医師、木挽、紺屋、材木屋、旅籠、川船宿が軒を連ね、街道と加古川の交差点として大変な賑わいを見せていたようです。・・・とのこと。
渡しの説明
国包はいつも通過するだけの場所だったので、一度ゆっくりと堤防の向こう側も歩いてみたいと思いました。
国包量水漂
出水時にはいつもカメラ映像を見ている国包の水位観測所(水質観測もある)です。ここまでで約4500歩でしたので、ターンして帰ります。
河川敷マラソンコースもこの近くが一つ目の折り返し地点、少し下流には漕艇のコースが設定されています。

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クーペ仲間で遍路仲間のSさんのお見舞いに行ってきた

(これは昨日の事です)
昨年末から闘病中の徳島のSさんのお見舞いに行ってきた。
明石海峡大橋
明石海峡大橋を渡り、淡路島縦断、病院は徳島市内だけど、昼食のため、鳴門の「びんび屋」へ。
ここは以前Sさんに連れて行ってもらったところ。相変わらず大繁盛。
昼食びんび屋
その後徳島市内の病院へ。
本来はコロナの影響で面会できないのだけど、窓ガラス越しならという事で奥様が病院に許可を取って頂いた。
(ほんの一瞬だけ、窓を開けていただいた)
日頃電話では話しているけど、お会いしたのは1年ぶりくらい。
多少色白になられていたが、お元気で良く話もされていた。会えて良かった。
大病をされ、手術を3回も受け、ようやく回復方向に向かっているとのことでした。
遍路も残り20カ寺、退院されたら車でゆっくりと回りましょうと伝えました。
お見舞い
帰路、道の駅で休憩した時、レンコン池を発見!そういえば徳島はレンコンの一大産地でした。
レンコン畑
レンコン収穫マシンが収穫した後のようですね。なかなか興味深いです。
広大なレンコン池
こちらはサツマイモの収穫風景。レンコン池のすぐ隣でした。日よけのビーチパラソルを広げたサツマイモ収穫マシンが稼働していました。サツマイモの「なると金時」もこの地域の特産物です。
サツマイモ畑
お見舞いの話が芋やレンコンの話になってしまいましたが、今回お誘いいただいた和歌山のSさん、Nさん、車に乗せていただいたご近所のKさん、そして奥様、本当にありがとうございました。

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夏の風物詩

(8月27日の事です)
夜中にポンポン音がする!
花火1
花火が上がっていた。
今年も分散開催なのか?加古川の川祭りの花火は来月に延期されたようで、あちこちの公民館等で小規模に花火が上がっているようです。
花火2
夏の終わりの寂しさ?が良く表現できていました。

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畑の整理

秋ジャガの畝を作るために、冬瓜とカボチャを収穫した。
冬瓜
冬瓜は存在を認識していなかったやつが、三つも発見された。
カボチャ
カボチャはまだ少々熟しきれていないのかも知れないのだが、もう毎日水やりするのも疲れたので取ってしまう。
果たして食えるか?
先日来、草刈りや草取りをして溜まった草の山。
草の山
燃やしたいけど、燃やす場所がない。
増える一方です💦

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草刈り(5回目)続き

機能に引き続き、今日は加古川堤防下の市街化調整区域の田の畔草刈り。
ついでに、堤防法尻の水路(農業用水路兼用)の草刈りをした。
草刈り前の水路
つい先日刈ったと思ったのにもう水路は草に埋没しています。
土手の水路清掃後
今回は市道の肩部分をご近所の板金塗装屋さんが刈ってくれていたので、少しは楽でしたが、結局9時から3時間の作業となりました。
もうヘロヘロです。
ちなみにこの水路が先日「秘密の場所」で紹介したお「大野樋管」の堤内側となります。(秘密の場所)

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早朝散歩(大ループ)

最近は日の出が遅くなって散歩スタートしようと思っても世間はまだ暗い。
昨夜は少々飲みすぎたので、今朝はちょっと多めに歩こうと思ったのだが、出発時間はいつもと同じになってしまった。
さて今日のコースは・・・
散歩コース1万歩2
写真中央の自宅を出発、加古川左岸のマラソンコースを水管橋まで、水管橋を渡り右岸のマラソンコースを上流へ、池尻橋を渡り再び左岸へ。
池尻橋下の河川公園はきれいに草刈りされていました。
草刈りされた河川公園
池尻橋東詰めから稲美町方面へ。五ヶ井用水路が曇川と合流するところです。
五ヶ井用水
そしてこちらは新井(しんゆ)用水。五ヶ井用水は途中で曇川を用水路として使っていますが、新井用水路は単独の用水路です。
新井用水
こちらは西之山の水田、この辺りは稲美町からのため池よりの灌漑だと思います。
コックをひねると水が出てくるようで、とても便利そうです。
給水栓
こんなのを発見しました。
地蔵堂
石板に掘られた六地蔵とのこと。南北朝時代(1342年)なので今から680年前のものとか。結構古いです。
市指定重要文化財
お堂のなかにあるので、見ることができないのが残念です。
この地域の石仏は石板に掘られたものが確か他にもあったような。古墳の石棺の蓋を使って後年石仏を掘ったものがあるようで、何だかなー?と思うのですよ。ちなみに掘り出された石棺もあちこちに散逸しているようで、氷丘中学校の校内や、常楽寺、その他。どこから掘って持ってきたのやら?昔の人は埋葬者に対してあんまり頓着がなかったのかも知れませんね。

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草刈り(5回目)

(昨日の記事です)
草刈りをした。5回目となる。
草刈り前
10月10日前後に予定している稲刈りまでにはもう一度刈らねばならない。
草刈り後
ここ2~3日、多少は涼しいので助かっている。

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ベスパ発見!

早朝散歩してたらこんなん発見しちゃいました!
ベスパ
そう、イタリアのスクーター「ベスパ」です。
かなり長い間放置されている雰囲気ですね。
近々交渉しに行こうかな?
(早よ、カルマンギア復活させんかい!という声が聞こえてきそう💦)

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早朝散歩(昔のお墓)

今日は朝から曇り空、奇数日で樋門当番ではないので早朝散歩は河川敷以外へ行く。
一日8000歩以上を目標としているので、結構あちこち歩いている。
さて今日来たところは・・・
墓所2
その昔、我が家の”詣り墓”があった場所。(大野字山の谷1603)
昔はどこの地域でも土葬が主な埋葬方法だった。そのため、お墓は二つあったのだ。
一つは”埋葬墓”、そしてもう一つは”詣り墓”である。
埋葬墓はその名の通り、土葬をしていた場所で、墓石は粗末なものか、小さな個人別の物しかない。
詣り墓はかつての”家”の制度の象徴のようなもので、先祖代々のその家の霊が祭られており、比較的立派な墓が多い。
墓所1
埋葬墓はこの地域では”せんど”(先祖のことか?)とその昔は呼びならわされており、墓参りをする時にはたいがい、詣り墓も埋葬墓も両方へ詣っていたのである。(小学生低学年のころ、盆や彼岸になると祖母に連れられて沢山の墓花と薬缶を持って、詣り墓と”せんど”へお参りに行った記憶がある。本当に多くの墓花を持って行った。今は1対のみである)
 今回はたまたま散歩したコースの近くだったので、もうウン十年行っていなかった詣り墓を見ようと立ち入ったのである。
 平成元年(1989年)4月、かつての埋葬墓は「日岡公園墓地」に改装された。そして、我が家の詣り墓はそちらへ移転、詣り墓にあった関連の墓石や埋葬墓にあった個人の墓石はすべて公園墓地の供養塔に集積された。(早逝したクリスチャンの叔母の墓石に掘ってあった十字架が印象深かった)
そのために、今回行った詣り墓にはすでに墓石は無いのだが、うっそうとした山中の墓所には相当歴史の古い墓石や宝篋印塔などがあり興味深い。

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失業者の心境

 退職してもうすぐ2ヶ月となる。今の心境を記録に残しておこうと思う。

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出穂・開花

(昨日の記事です)
最近一日の過ぎるのが早く感じるようになった。
何故だかわからないけど。
稲が開花した。
開花
天候不順だけど、例年通りに稲が開花していた。
出穂
葉っぱの陰だから意識して見ないと分からなかったよ。
豊作になりますように!

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夜間樋門操作

久しぶりに曇川排水機場の水位計の警報通知が来た。
電話応答通報装置により、内水位が一定の値を超えると携帯電話に警報が送られる。
レーダー
レーダー雨量計には1時間ほど前に固まった雨域が通過していますね。
上流の水位
曇川上流にある水位計の値です。またまた急激に20センチ近く上昇しています。
1時23分286センチ
排水機場での内水位は286センチ。樋門地点とは115センチの数値的な差がある。
現在の管理水位は樋門地点で150センチなので、265センチが最大なのだが、それより更に21センチも水位が上昇している。
ゲート開度20センチ
早速樋門ゲートを開ける。1号、2号ともに20センチとする。
しばらく水位の変化を見守ると、すぐに54センチの低下。樋門の排水能力は高い。
2時18分231センチ
その後夜明け頃にはさらに10センチ低下。樋門地点では106センチにさがりました。
6時15分221センチ
あらかじめ降雨が明確に予測されるときは前日にゲートを開けておくのですが、このたびのように、先行きが見通せない場合は電話応答通報装置からの通報が唯一の出動タイミングとなります。もっとも、水位上昇しても、樋門地点でポンプ場基準水位が2.8mを超えると別府川放水路に自然越流していくのですがね。
季節的には「キヌヒカリ」が開花時期を迎えており、水が必要な時期。
出水と農業利水の兼ね合いを考慮しつつ、結構こまめに運用しているのです。

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秘密の場所・・・

(これは昨日のお話です)
雨やら夏風邪で2日間も休んでしまった早朝散歩、今日は久しぶりとなります。
加古川河川敷のいつものコースなのですが、何だか前と景色が違う。
草刈り
草刈りがされていました!
さて、今日はちょっとマニアックなところへ・・・
この黄色いところからブッシュの中に入ると・・・
遠景
草や灌木のトンネルがあります。まるでトトロの世界です。
入ってゆくと
それを抜けると・・・
川面に出ます。
川面へ
低水護岸の石積みが延々と続いています。
上流側
正面には中州があります。最近出水がなかったのと、夏場で樹木が繁茂しているので、とても美しいブッシュに見えます。
中州
この場所からは真正面に加古川右岸、平荘湖際の「八十の岩橋」のある舛田山と左側には「播磨富士」と呼ばれる高御座山(たかみくらやま)の美しい姿が見えます。
中州八十高御座
振り返ると排水管がありますが、これは大野樋管です。農業用水路等の流末です。
この存在は昔から知っていました。
大野樋管
吐き口に蓋が無いので、本川増水時の逆流防止はどうしているのかよくわからないのですが、重要な水防施設です。
逆流防止は?
この場所は入口周辺に漆の林があり、触れるとひどい目に遭いますが、なかなか幻想的な場所ではあります。

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蓮の葉っぱ取り(3回目?4回目?)

もう何回目か忘れてしまった。(暑さのせいか、歳のせい?)
盛大に繁茂した蓮の葉っぱ。
巨大なものでは直径50センチもある!
今シーズンの前に随分堆肥を投入したから成長がいいのだろうと思う。(堆肥投入)
レンコン繁茂
稲が日陰になってしまうのでかぶさって来た部分を刈り払っている。
なかなか生命力旺盛な植物です。
除去
さて、明日は”施餓鬼”である、この時期、お寺のお世話をされている、西山の弓削建設さんが毎年、施餓鬼法要のために蓮を取りに来られる。既に花が終わってしまった年も多いのだが、今年は何とか残っていたようだ。

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ポンプテスト3日目

(これは昨日の事です)
今日で今月のポンプテストは終わりです。
水位も高いのですぐに水は溜まるだろうから今日は樋門を閉めたあと、現地待機することにする。
ついでだから、別府川放水路が鉄道の下越しする部分を見学してきた。
加古川線切り替え
向こう側の途切れている線路が元々の加古川線。
手前側の新しいバラスの線路が工事のための仮設線路ですね。
加古川線は既に新しい線路を走っています。
加古川線切り替え2
こちらは西脇方面です。
矢板
新しい線路の向こう、鋼矢板が打ってある場所が加古川線を下越しする水路が打設される場所です。
水路
手前側の水路は既にできているようです。
これが完成すれば加古川本川の水位が上昇したときの曇川内水のうち30t/sが別府川へ流下させることが出来ます。
そして、本日テストしている排水機場のポンプにより26t/sが加古川本川に排出されるのです。
(昭和58年(1983年)9月の台風10号をモデルにした「加古川水系下流圏域河川整備計画」による)

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ポンプテスト(2日目)

今日は兵庫県の曇川排水機場のポンプテスト2日目。
昨夜から雨もたまに降っており、日頃の開度より若干大きめに排水樋門は開けていたのだが、結構内水側の水位は高い。
ほとんど満水
午前8時半に農業用水のゲートも曇川排水樋門のゲートも全閉して水を溜め始める。
しかし、1時間も待たないで満水である旨、電話自動通報装置からの通報が入る。
10時過ぎに加古川土木事務所の担当の方よりポンプテスト終了の電話が入ったのでゲート開度を通常状態にする。
しかし、昨日からの雨や、新井農業用水路から曇川に放流している農水や、上流の倒伏堰からの放流などがあるのか、なかなか水位は下がらない。それどころか上がって来る。11時20分で2.82m(ポンプ場地点の水位)
最高水位
11時30分、再び排水樋門側の開度を変更する5センチ⇒12センチ
降雨が収まるまでは上記排水機場地点の水位を監視する必要がある。

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イチゴの苗の準備をした

連日暑い日が続きます。
もう朝から何もする気が無いのが実情ですが、
実は昨日はたまたま曇り空だったので、畑の草取りをした。
1日トータルで5時間ほどやっていました。
熱中症になるといけないので30分に1回は休憩し、水分補給!
おかげで、作業服は汗でずぶぬれになりました。
(作業に熱中していたので写真はありません)
そして今日、草のなかから発掘されたイチゴの株をポットに固定しました。
これはランナーで伸びてきた株です。
苗1
結構自由奔放に伸びています。
苗2
多くは、畝の間の谷に根を下ろしている。
苗3
子株なんかは既に親株と同じくらいの大きさです。
カップ1
来年のために採る株は子株から更にランナーで延びた孫株やひ孫株を植えます。
カップ2
カップに基礎肥料と培養土、緩効性肥料を少し混ぜた土を入れ、苗の株をピンで土に留めて行きます。
カップ3
上手く根を降ろしてくれたら、ランナーを切り離して独立させますが、若干の期間が必要です。
今までは暑いし、草茫々だし、全くやる気なしだったんだけど、ようやく実施することが出来ました💦

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お盆です

(これは8月12日の記事です)
お盆です。
孫の朔楽(さくら)ちゃんが来ました!
朔ちゃん2
会えてうれしい!
さくちゃん
なんだかもうすっかり”子供”になっていますね-!

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お盆ですね

お盆ですね。
馬と牛
スタッフもそろいました!
盆提灯
お出迎えの提灯も。
どうぞお気をつけて帰ってきてください。

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恒例の葡萄屋さんへ

8月11日の記事です。
今年もお隣の加西市へ葡萄を買いに行った。
年々お客さんが増えてきて、今年は車を停める場所もないくらいの盛況でした。
お客さんいっぱい
昨今出回っている大粒種のほとんどすべてが販売されている(時期的にずれはある)のと、とても立派なのが結構お安く購入できるので、お客さんも多いのだろう。
販売されている方は走り回っていましたね。そして、次からつぎへと朝採れの葡萄が軽トラで運び込まれていました。
予約できない
でも、これだけ多くの葡萄が搬入されているのですが、人気品種のピオーネや藤稔などはもう予約でいっぱいだそうで、1か月後の露地ものを待つより仕方がない状況とのこと。
8月2日に開店し、9月中旬までの季節商売ですので、まさに今が頑張り時ですね。
昨年はシャインマスカットを求めて4回も足を運びました。今年もあと2回は確実に来ることになります。
加西市の谷川果樹園です。ぜひのぞいてみてください。

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早朝散歩(加古川堰堤)

(昨日の記事です)
今日は加古川右岸の下流まで歩いた。
全景
高砂市の上水の取水だと思うんだけど、工業用水もとっているのかな?
取水ゲート
取水ゲートは3門ですが・・・
堤外水路
水路は1本でした。
席下流
可動堰6門、向こう側は固定堰です。
魚道
魚道もありました。
グーグルマップの航空写真で見てみると、高砂市内の浄水場まで水路が伸びていたので、上水道であることはほぼ間違いなしです。
ちなみに、右岸側では加古川大堰上流から工業用水と農業用水の取水があるので、ここは上水道だけかもしれません。
危機管理型水位計
近くには危機管理型水位計がありました。

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早朝の散歩(日岡山の古墳)

8月9日のことです。
日頃の散歩はもっぱら加古川河川敷が多いのですが、たまに日岡山公園へも行きます。
先日、発掘調査をしていたので、興味があるのでまた言ってみたのですがブルーシートで覆われており何も見えません。
ま、仕方ないですけどね。
何か所かは既に埋め戻されていましたが、新たな場所も白線が引いてありました。
この日は山の上にも行きました。
古墳の配置が記載されている看板がありました。
古墳の配置
右端の北大塚はつい先日行った所です。
20号墳
日岡山山頂付近にある20号墳、前のカンバンでは白丸で示めされている、数多くある墳墓のひとつのようですね。
西車塚古墳
こちらは麓の西車塚です。周濠があります。
これだけお墓があるという事は古墳時代には結構栄えていた場所だったのでしょうね。

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国史跡 播州葡萄園跡について

(これも8月6日の記事です)
淡山疎水の練部屋分水工を見学した後、稲美町立郷土資料館にもため池関係の資料がないかと見に行ったところ、郷土資料館の隣に「播州葡萄園歴史の館」があったので少し寄り道した。
ぶどう園歴史の館
実は稲美町は関西では初めてぶどう栽培とワイン作りが行われた土地だとのこと。
歴史はそれほど古くなく、明治13年(1880年)に国策として試験的に葡萄栽培を始めたとのことで、それほど水を必要としない葡萄栽培はここ稲美町のような中山間部を有効に利用できる手立てであり、葡萄より醸造するワインやそれを蒸留して造られるブランデーは外貨獲得の手立てともなるという趣旨で当時の内務卿大久保利通らの力により進められてきました。
主意書
ではなぜ、ここ稲美町が候補地になったのでしょうか。それにはなかなか厳しい当時の社会情勢があったとのこと。
元々は明治5年に内藤新宿(東京)で、明治7年には三田育種場(東京)で始められたのですが、気候が寒冷であり、湿潤であったため、葡萄にカビが生え、うまくいかなかったことがあります。
パンフ1
そこで、代替地として安価で購入できる荒れ地を探していました。この地域は元々雨が少なく、温暖であり、稲作に適していないことから綿花栽培がされていましたが、外国からの安価な綿が大量にはいってくるために人々は苦しい生活を余儀なくされていたことがあったのと、地租改正により、巨額の税金が掛けられ、多くの人々が土地を手放さざるを得なかったという実情があったのでした。
場所
葡萄園の場所は上の図の薄黄色に塗られた場所ですが、左(東側)にある「葡萄園池」は後年に開削されたもので、葡萄園の名称を唯一残していると言えます。
葡萄園の広さは30町2反8畝19歩と言われていますので、約302,860㎡、甲子園球場の7.6倍もある広大な面積です。
ぶどう園全景
葡萄園の場所、全体規模等については後年度淡山疎水の水路図面などより推定ができます。
ではその後の葡萄園はどうなったのでしょうか。葡萄畑は明治13年から徐々に拡大され、66種、19万本以上を栽培するようになりました。ワインは宮中にも献上され、大蔵卿松方正義ら政府要人も視察に訪れたようです。
園全景(測量図)
技術的にはガラス温室栽培が岡山に伝わり、「マスカット・オブ・アレキサンドリア」は岡山の特産品となりました。
出土瓦
しかし、明治18年害虫フィロキセラが発見され、多くの樹が焼却され、また、明治18年8月18日の台風で甚大な被害を受けたということです。
醸造所跡
上図は発掘された醸造所跡です。(建坪72坪、レンガ地下室)
明治20年(1887年)には収穫量11トン以上と過去最多となり、明治21年には民間へ払い下げされたとのこと。
明治23年には「BANSHIU BUDOYEN 葡萄酒 ブランジー」が商標登録され、開園以来11年目にしてようやく販売段階になったとのことです。
出土品
ところが明治24年、淡河川疎水が開通し、いなみ野はため池作りと水田化が進められるようになりました。
水田化のために地価が高騰するなか、徐々に葡萄畑は売却され、明治37年(1904年)までにはほぼすべての土地が売却され、民営播州葡萄園は終焉を迎えたということです。
(出典:平成20年(2008)3月 稲美町教育委員会教育政策部文化課作成資料)より抜粋。

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練部屋分水工(ねりべやぶんすいこう)を見学

(これは一昨日の記事です)
いなみ野ため池ミュージーアム見学の後、淡山疎水の水を分配する施設のひとつ、「練部屋分水工」を見学しに行った。
この分水工は印南野台地の一番上にあり、ここで分水された水は自然流下で各方面に流れて行く。
カンバン
分水工の全景です。まるい水槽のようなコンクリート構造物で、中央には水が噴き出し、周囲には4か所のゲートがあり、そこから水が流出しています。
全景
説明看板がありました。
新設当時明治24年(1891年)には四角形の形だったようで、レンガを積み上げてつくられていたとのこと。その翌年の水害で壊され、今度は六角形のコンクリート構造物となりました。
現在の物は昭和34年(1959年)に必要な水量を正確に分配できるよう、円形のコンクリート構造物に改修されたものです。
構造図
これは分水工への流入水路です。淡山疎水により運ばれた水はここからサイフォンにより、円形の中心部に噴出させ、円筒の外周部で越流させ、5つの水路に分配されます。
流入口
こちらが流入水路から来た水が越流堤の内側に噴出している中央部分です。
サイフォン部
越流堤内からあふれ出た水は外周の溝に落ち、そして止水ゲートをくぐり、各水路に流れ出て行きます。
写真の左下にコンクリートの仕切りが見えます。この仕切りから仕切りまでの間の越流堤の長さで取水量の分割を正確に行っているとのことです。
越流部
分水量の微調節用なのか、越流堤の上に角材とコンクリート柱が寝かせて置かれています。
分水量調節
ここでの水の分配は以下の4方向のようです(案内看板には5方向とありましたが・・・?)
北側より、①加古支線、②天満支線、③蛸草支線、④印南・手中・森安支線です。越流堤の仕切りの幅から見ると、①加古支線が最大の取水量、次に、④印南・手中・森安支線そして、②天満支線と③蛸草支線はほぼ同量でいずれも少なく見えました。
淡山疎水の水利費は「要水反別」(ようすいたんべつ)という全国的にも珍しい水量割の負担方式のため、このように正確な分水が求められたとのこと。
 兵庫県中部の谷川である山田川、淡河川から延々26キロの疎水で流されてきた水を印南野台地全体に分配する施設。なかなか興味深い構造物でした。
 次は、印南野台地のため池の連携(接続)状況を見てみたいと思っています。

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「いなみ野ため池ミュージーアム」へ行ってきた

(昨日のことです)
お隣の町、稲美町にある「いなみ野ため池ミュージーアム」へ行ってきました。
ため池ミュージーアム
何しに行ったかと言うと、(少々長くなりますが)以前、雨が降った時、お世話している樋門のある、曇川の水位が急激に上昇する現象があった。(水位上昇)
なぜそうなるのかを確認するべく、曇川を先日さかのぼった時に農業利水と思われる堰を発見した。(堰発見)
航空写真で曇川をさかのぼると、なんと堰は一つではなく12か所もあった。
それと、最上流はどこかと探してみると、稲美町の”ため池”のひとつ満溜池、更にその上流の池のように見える。
途中合流している国安川の上流も琴池であった。
ということは、これらのため池からの放流が影響しているの?
そんな疑問が湧いて来たので、ため池管理の状況がわかるかなと思って訪ねたのでした。
加古の大池
いなみ野ため池ミュージーアムは、この地域で最大の”ため池”である「加古大池」のほとりにある。
なかなか見晴らしがよく、多くの人が釣りや水遊びに来られていました。
カンバン
ミュージーアムはそれほど展示物は多くなく、どちらかと言うとイベントを企画するセンター的な役割をしているのではないかと思いました。
展示物の一部を紹介すると、まず、印南野台地の地質資料です。
北東に草谷川の河岸段丘があり、台地の中央やや南西寄りに曇川が南東から北西方向に走っています。
草谷川
次に、地形と、ため池への補給ルートを現した模型があり、それを見ると、台地全体は北東から南西へ緩やかに下がっています。
広大で、ほぼ平坦なこの台地は古来より水があまり無く、農業(特に稲作)をするために”ため池”を作って来たようです。
そしてそのため池に水を補給するために、「淡山疎水」が造られ、加古川の上流にある支川(淡河川、山田川)より、延々26キロの疎水が構築されたとのこと。6年ほど前に見に行った「御坂サイフォン」もその流路の一部です。(御坂サイフォン)
大地の勾配
ミュージーアムではこのようなパンフをいただきました。
いなみ野フットパス
この地域の”ため池”や「淡山疎水」に係る史跡を巡るハイキングコースです。
全部で7ルートが提案されていますので、そのうち巡ってやろうと思っています。
パンフの地図
 当初の目的であった、曇川の水位変動については、ため池自体には洪水(降雨)時には一定の水位以上になると自然流下する切り欠き部(洪水吐け)があるため、人為的に操作して放流するということはないことが分かりました。
 自然流下する雨水は、この台地の唯一の排水路となる曇川に流入します。その段階で、曇川の河道内に設置されている倒伏堰を倒す(川の外側に水があふれるため、取水を停止する)操作があると想像しますので、次はそちらの方を確認してみたいと思っている所です。
 全国有数のため池地帯である、この稲美町、その”ため池群”に水を供給する明治時代に造られた「淡山疎水」、なかなか興味深いので、今しばらくその関連資料を探してみたいと思っています。
 この日はこの後、「淡山疎水」の終着点(ため池群へ配水するための起点)である、「練部屋の分水工」へ行きました。
また、別記事でアップさせていただきます。

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ナスの更新剪定

ナスの更新剪定を実施
ナス剪定1
毎年適当にやっています。
ナス剪定2
ちなみにこちらが剪定前(ちょっとわかりにくいかも)
剪定前
根切りして堆肥と化学肥料を入れます。
根切り
これで約1か月後には”秋ナス”が採れるかな?・・・枯れてるかも💦

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除草流行り?

本日の早朝散歩は加古川河川敷左岸上流です。
おおっ!マラソンコースの路側の草が刈られている。
マラソンコース除草
何だかコースが広くなったような気がします。
ポンプ吐け口も除草
曇川排水機場の吐き口水路も半分除草されている。
本日残りを刈るのかも知れない。
先月のポンプテストの時、あの草だらけの水路に排水するの!とおもっていたけど。
これで疎通はよくなるでしょう。
今月のポンプテストは16日~18日、担当です。
我が家のジャングル状態だった畑も除草しました。
畑除草
ただし、半分だけ。これ以上続けると熱中症で倒れそうです。残りはまた明日。
畑除草斜め
この時期の農作業はなかなかきついです💦

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