会社退職後、毎朝ウォーキングをしている。
勤めている時は朝晩通勤ルートである大阪駅から西天満の会社まで健康保持のために歩いていた。
その代替として、加古川河川敷か、ご近所の公園である”日岡山公園”を散歩しようと決めたからだ。
会社勤めの時は片道4000歩、往復で1日8000歩を目標としていた。
仕事を辞めてからもその目標は変えていない。
前々職を定年退職するときに受託した”樋門操作員”はずっと続けており、二日に一度当番が回って来る。そのついでに担当している樋門をスタート地点として、加古川の左岸側を上流に行ったり、下流に行ったりしていたが、飽きてきたので、今日は加古川大堰まで行き、そこから上流へ歩いたのである。
樋門操作員をしている曇川樋門は実は五ヶ井土地改良区の農業用水の調節も行っているちょっと特殊な樋門なのであるが、今回、歩いたコースには加古川本川からの五ヶ井用水の取水施設もあるのでここに紹介します。
まずは加古川大堰です。

かつてこの場所には”五ヶ井堰”という農業用水の取水をするための堰が築かれていました。
洪水時、流下の阻害となるため、五ヶ井堰が取り除かれ、代わりにこの加古川大堰が建設されたのです。
これは堰上流左岸にある取水口です。

取水口で取り入れられた水は取水口ゲートをくぐり、加古川市の上水道と分水されます。

ちょっと話は逸れますが、対岸には右岸側の取水ゲートが見えています。こちらは工業用水が主な取水となります。

話は戻って、上水道と分水された後、農業用水のポンプ場を通ります。
大渇水時、自然流下で水が取れなくなった時にはこのポンプを稼働させます。

堤防の向こうに見えるのが加古川市の浄水場です。

大堰下流で流入している草谷川の底をサイフォンで潜り・・・

先日、通水式をした、”平松樋門跡”で堤防を越して堤内側の五ヶ井用水路(郷の川という)に出てくるのです。
それ以降は
「初検分」に記載の通りです。
さて、この草谷川合流地点のすぐ下流の加古川本川の中にこんなのがあります。

注意しなければ見落としてしまうような岩なのですが、五ヶ井用水の歴史を振り返った時、とても重要な役割をしたと言い伝えられている”太子岩”です。
”太子”とは言わずと知れた聖徳太子さんのことです。加古川市内の大半の水田を潤す農業用水”五ヶ井用水”は聖徳太子さんが企画立案をしたと言い伝えられています。(ま、その真偽は定かではありませんが・・・)
その時、測量の基準点として使ったのがこの岩だったとのこと。この岩と、ずっと下流にある、これも聖徳太子ゆかりの”鶴林寺”(かくりんじ)の三重の塔のてっぺんが同じ高さだとのことを子供の時に聞いたことがあります。
ま、そのような伝説の岩なのです。
自分が子供の頃は、まだ五ヶ井堰があり、太子岩周辺は広大な川原であり、この”太子岩”はとても目立っていました。
しかし、今となっては半分堆砂で埋まり、その上に草が繁茂し、その内見えなくなってしまうのではないでしょうか。
さて、本日の散歩で歩いた最上流はJR加古川線が加古川を渡る鉄橋の少し手前までで、目標の半分である4000歩を越えたのでした。
