fc2ブログ
 

2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

開発がはじまった

(6月25日の記事です)
先日、溝掃除の記事(農家溝掃除)で少し紹介しましたが、我が家のある区画の市街化区域の農地、いよいよ開発がはじまりました。
開発1
バックホウの音がしきりとしていると思ったら、ここの工事でした。
開発2
伯父が相続し、父親がずっと管理してきた水田も宅地になります。
見慣れた風景、そして思い出のある場所がなくなるのは寂しいですが、高額な固定資産税(都市計画税)を掛けられて農業などやっておれないというのが現実なのでしょう。
ノスタルジーに浸っては居られませんね。
開発エリア
赤線で囲ったエリアが今回の開発対象です。これで農地はすべてなくなります。50軒ほどの住宅ができるそうです。
都市近郊の農地の辿らざるを得ない宿命なのかも。

スポンサーサイト



PageTop

この景色も見納め

(6月23日の記事)
6月末で仕事を辞める。
入社時に「手伝えるのは3年間」と伝えていたからだ。(7月1日スタート)
会社からの眺め
おなじみのこの風景、難波橋北詰にある入居ビル(14階)から東方面(谷町筋方向)を見た所。とってもアーバンで好きでしたね。もう見納めなので写真をパチリ。
こちらは難波橋、渡ったところが大阪証券取引所がある北浜です。ビルの前には五代友厚の銅像があります。(見えませんが💦)
先日紹介しましたが橋の中ほどにあるのが中之島バラ園です。シーズンには素晴らしい花が鑑賞できます。
難波橋
田舎者の自分がこんな都会で働けることはラッキーと思っていました。(前に勤めていた職場も都会でしたが、あんまり見晴らしは良くなかった)
これで、2回目の”雇われ人”仕事が終わります。これから”やり残している人生の宿題”を片付け、その後はどうするかはまだ決めてはいないのですが、経済的に困窮するような気がするので何らかの仕事をまたしているかも知れません。
兎に角1年間ほどは思うように生きたいと思っています。

PageTop

過去の遺物

(6月19日の日記)
樋門の試験を実施した。
5月から11月は出水期で月に2回樋門試験を実施する。今回は6月1回目。
予定表
6月10日より、シーズン最高の水量となっている五ヶ井用水。樋門を全開にすると結構迫力のある放流となる。
全開
通常の樋門は日頃は全開なので全閉方向に操作し、リミットスイッチが働いたのを確認してから今度は全開にするのだ。
しかし、ここの樋門はほぼ全閉に近い開度で農業用水を調節しているため、普通の樋門とは逆にまず全開操作を行うのだ。
全開から全閉までは1.9mあるので結構時間がかかる。その間に投光器や予備発電機の稼働試験、周辺の清掃などをしている。
今回は内水側にあるエンジン掛けのゲートも試してみたが、エンジンが掛からない。以前、報告したはずなのに対策されていないようだ。
角落し1
内水側のエンジン巻き上げ機の下をのぞくと、色々と過去の遺物が集積されていた。
この鋼材の台の上にある角材は何だと思いますか?
フック
実はこれはゲートを点検する際にゲートの手前にある戸溝に沿ってこの角材を何本か投入し、止水して点検が出来るようにするものなのです。その昔はこの角材がゲート代わりになり流量を投入本数の増減によって調節していました。
角材端部にはフックが付けられており、”鳶口”(とびくち)というトンビの嘴のような引っ掛けが付いた道具でこのフックを引っ掛け、角材を引き上げていたようです。柄の長い鳶口が沢山管理小屋に置いてありました。
鳶口
エンジン巻き上げ機床板の下にはこのほかにアセチレンガスのバーナー(照明用)や、電柱や電話線などが放置してありました。
まるで昭和初期に戻ったような感覚でしたよ。

PageTop

スマホの保護ガラスを交換

(6月19日の日記)
スマホの画面保護ガラスが少々酷い状態だった。
ひび割れた
落としたり踏んだりで、実はバリバリにヒビが入っていたのだ。
欠けた
幸い剥がれることは無かったが、最近は爪の先に引っかかるようになったので交換することにした。
新しいガラス
機種がそれなりに古いので大手家電販売店ではすでに無く、ネット通販で見つけることが出来た。
まるで新品のようにスマホが蘇りました。
ネットで保護ガラスを探していて見つけたのがガラスの宣伝文句・・・
”割れないガラス””割れても飛び散らないガラス”
割れるのか割れないのかどっちやねん!
”矛盾”を絵にかいたような宣伝文句でした。

PageTop

補植完了!

”補植”が終わった。
大きい田
田植えは”乗用田植え機”で行うのだが、水田の四隅はうまく植えられない。
また、苗の育ち具合や、苗代作りの時の苗箱への種籾の落ち方によって、植え方がまばらになっているところがある。
機械で植えた後、残った苗を持って、水田を歩き、植わっていないところを補っていくのである。
この作業、地元の言葉では”浮き苗を回る”とか”差し苗をする”と言います。まあ、雰囲気は伝わりますね。
小規模零細稲作農家ならではの作業ではないかと思います。
小さい田
泥田は歩くだけでも結構疲れる。面倒くさくてやらなかった年もあったが、稲刈りの時に結構空間が空いていてもったいないと思ったのでそれ以来毎年やるようにしている。やったからどれだけ収量が増えるのかは定量的には検証したことないけど、ま、自己満足もかねての作業でしょうね。
苗
実は機械植えの後、息子がいったんはやってくれたのだが、”1本苗”への補植もするために再び回る。朝6時から9時まで3時間もかかってしまったが、一応満足できました。

PageTop

橿原神宮へ

(6月16日の日記)
懐かしい橿原神宮方面へ行った。
ここは2000年4月から2003年3月の3年間住んでいた所です。
以前にも書いたかも知れませんが奈良県吉野郡の山奥でダムを作っていた時に住んでいた所です。
橿原神宮前駅
先日行った滋賀県大津市は今まで巡ったところの中では一番住みたいと思った所ですが、ここ、橿原神宮は二番目に住みたいと思った場所でした。
畝傍山
すぐ近くはもう明日香村。多くの遺跡や古墳があり、また、甘樫の丘からの景観や稲渕の棚田など魅力的な所が沢山あります。
住んでいた頃はまだ子供たちも小さかったので野山を駆け回ったり、地元のお祭りに参加させてもらったり、と楽しい思い出が沢山あります。
田舎があり、ましてや農家でもあるため、地元を離れることはかないませんが、機会あるごとに訪れたい場所のひとつです。

PageTop

琵琶湖を見に行く

(6月14日の日記)
琵琶湖を見に行った。
といっても営業で客先へ行ったついでに、少し立ち寄っただけだけど。
比叡山
比叡山が雲に隠れている。
三上山
こちらは湖東の三上山。
以前に勤めていた職場では頻繁に転勤があり転居した。
数えてみると38年間で引っ越し14回。
いろんな場所で暮らすことは別に苦にならなかったが、家族には迷惑かけたなと思っている。
あちこちで暮らした中で、終の棲家としたいと思ったのが滋賀県大津市だった。
湖と山が望めるこの風景がとても気に入っている。
車石
これは客先にあった”車石”というもの。
説明板
大津から逢坂山を越え、山科を通って京都の三条まで続いていたという石畳の道。
日本最古の軌条とも言われている。
石に荷車の車輪が嵌まるように溝が掘ってある。(掘ったのかすり減ったのかわからないけど)

PageTop

用水管理

(これは6月12日の日記です)
自分が担っている農業用水路の管理区間はごく少ないのだけど、結構難しい所がある。
水位表示
兵庫県の曇川排水機場にあるウェブカメラを見させてもらい、分水地点の水位を把握。
樋門ゲート
曇川樋門の開度を調節し、樋門地点の水位を調節する。
農水ゲート
こちらが4門の農業用水路ゲート。手動なので大変💦
用水路2
4本の用水路に分水。
ゲート
”七つ杭”と呼ばれる水路の途中には調節ゲート(主にゲート上流側の分岐水路への”堰上げ”用)が2か所ある。その管理。
開度
水が入る、入らないの電話連絡を受け、この日は4回も調節に走り回った。

PageTop

田植えです

(これは6月11日の記事です)
昨日よりの”田植え水”で代掻きが出来た水田に”田植え”する。
田植え中
幸せな事に息子二人が手伝ってくれる。
大完了
雨の中の作業になってしまったけど・・・
本日中にすべてが終わりました。感謝です。
小完了
豊作でありますように。

PageTop

代掻き

(これも6月10日の記事です)
水位めいっぱい
取水量が本日から増量され、用水路は満杯です。
167cmです
この地点の水位は現在167センチ。管理基準は160センチなので少々高い。
水が入りはじめた
水田に水が入り始めました。
代掻き完了
堤防下の水田。こちらの方にも水が入り、さっそく”代掻き”を実施。
こちらも完了
自宅前の大きい水田も”代掻きが出来ました。
明日は”田植え”です。

PageTop

通水式

(これも6月10日の日記です)
この時期は農業が忙しく、なかなかブログが書けないのです。
いつも遅れ遅れの記事になってしまいます。
でもまあ、記録でもあるので延々と遅れても記事を書いています。
10日、用水路に”田植え水”が流されるこの日、”通水式”という行事が毎年行われます。
近所の神社の宮司に依頼して、今年1年、十分な水が来ること、農作物が沢山出来る事、風水害に合わないように・・・というようなお祈りをしてもらうのです。
お祈り
終わった後は祭壇に備えられていたお神酒を水路の法面に振りかけていました。
お清め
”気は心”ですので、例年通りの行事をすることにより、”安心”を得ることが出来るのでしょう。
良き年でありますように。

PageTop

用水増量

(6月10日の日記)
五ヶ井土地改良区における加古川左岸下流の農業用水取水についてはこの日、最大取水量である”毎秒3.65立方メートルとなる。
水量めいっぱい
いわゆる”田植え水”です。
水路は満杯
街中を走る水路はめいっぱい水が流れています。
いよいよ”田植え”の始まりです。

PageTop

懐かしい豊岡へ出張

(6月9日の日記です)
兵庫県の北部、豊岡市にある国土交通省の出先事務所へご挨拶に伺う。
播但線
姫路より出ている”播但線”です。
清流
これは”市川”の上流部。きれいな水が流れています。
武田城址
”天空の城”で有名な竹田城跡への登山道。
和田山駅
こちらは途中にある和田山駅。
ここで山陰線に乗り換えます。
わが加古川市にもゆかりのある児童文学作家の森はなさん生誕の地です。
旧電車庫
旧の車両基地?ずっと昔から壊されずに置いてあります。手前の水タンクも同じく古いものだと思います。
用水路
豊岡市内を流れる用水路です。
きれいな水が流れ、水路岸には豊岡の特産物”柳行李”の材料である”柳”が植えられています。
その昔、2年間住んだ所です。

PageTop

通水式会場の草刈り

(ちょっと日にちが前後しますが6月5日の日記)
草刈り前3
恒例の五ヶ井堰通水式が6月10日にあるので会場の”平松堰”周辺の草刈りをする
草刈り前2
その昔、ここには樋門があったようだ。
加古川の川の中に築いた堰により取水した農業用水が堤外へ出る場所だ。
今は単に暗渠の出口があるだけなのだが。
草刈り後3
場所は加古川大堰の左岸下流、”加古川大堰公園”という小さな公園の向かいにある。
草刈り後2
毎年6月10日、日岡神社の宮司を招請して”通水式”を開催する。

PageTop

苗の状況

(6月8日の日記)
苗の成長
苗の色が濃くなりました。
先日振り掛けた硫安水溶液の効果でしょう。
あと3日で田植えです。
セッコク桃色
畑の柿の木に張り付かせたセッコクのピンクが1輪だけ咲いていました。
美しい花です。

PageTop

苗代の網外しと梅の収穫

(6月3日の日記です)
網外し
苗代の鳥よけ網を外しました。
苗拡大
苗は結構良く出来ています。
先日高さを測ったら約13センチでした。
これから硫安水溶液を散布します。
(一列当たりジョロ1杯約8リットルに硫安2つかみを溶かし、散布します。その後、葉についた硫安を落とすため、清水をかけます。硫安を吸収させるため、半日ほど水は張らずにおきます)
梅
梅がだいぶ熟してきたので収穫した。
今年はとても少ない。というか、もう老木なのでそんなもんかも知れない。
昨年は、虫の影響なのか、実は斑点だらけだったのだけど、今年のは比較的美しい。
全部で5キロ
収穫は全部で5キロほど。
かつては15キロほどは採れたのだけどね。
ナス
ナスも初収穫でした。

PageTop

日岡山公園の案内看板

(6月2日の日記です)
日岡山公園
JR加古川線の日岡駅前にあった日岡山公園の案内看板が新しくなっていた。
日岡山公園は春のサクラがとても有名ですが、そのほかにもたくさんの古墳があること。
野球グラウンドや陸上競技場、体育館、武道館、プールもありますし、山の上からの見晴らしも結構よろしいです。
日岡駅前のカンバンはとてもひどい状態のまま放置されていたので以前から気になっていたのですが、とても美しくなりました。
良かったです。

PageTop

苗代の状況

(6月2日の日記)
苗代の状況1
稲の苗の生育状況は結構頻繁に見ている。
苗代の状況2
たまには網をめくって大きさを測定。
苗代の状況3
約13センチです。
近々網を外し、硫安を散布する予定。
田植えは9日後の6月11日を予定している。
そのころには苗の背丈は20センチを超えるだろう。
アジサイ
アジサイがもうすぐ咲きそうです。

PageTop

神戸へ行った

(6月1日の日記)
MOSAIC.jpg
6月に入ってしまった。
会社勤めも今月末で終わりだ。
この日は久しぶりに神戸へ飲みに行った。
コロナ禍も若干下火になり、いろいろな規制も緩和され、ついでに自分の気持ちも緩んで・・・。
若干の寂しさを感じた。

PageTop

農家溝掃除

(5月29日の日記)
溝掃除
この日は私の住んでいる地域の農家による溝掃除です。
農業従事者23名、でも、年々減っているのです。
住宅地の中の水路
私の住んでいる加古川市中部は、小規模開発がどんどん進められています。
JR神戸線沿線では近隣の神戸や明石は地価も高く、手が出ないという状況が、この地域の人気を高めているのではないかと思います。
開発予定地
昨年まで耕作されていた、この地域、市街化区域という色分けが随分昔からされていて、所有者は”宅地並み課税”を強いられていたエリアです。
開発予定地2
昨年、遂に宅地として開発される事になりました。
小溝
父親と共に管理していたこの小さな水路も既に草に埋もれていました。
里道
そして、かつてこのエリアに稲作のためにトラクターや田植え機、そしてコンバインを入れていたこの里道も既に草に埋もれ時の流れ、時代の移り変わり、社会の変化を感じます。
今までしてきた苦労が実を結べば喜びも湧いてくるのでしょうが、維持管理してきたものが無くなってゆく・・・そんな現実を見ると”いままで一体なにしてたん?”という脱力感しか湧いてきません。

PageTop

”平すき”実施

(5月28日の日記)
田植え前には色々と作業がある。
この地方では”平すき”もしくは”畝くずし”と言っている作業をやった。
これは実施前、まるで荒れ地のようです。つい先日起こしたばかりなのに。
この”平すき”というのは、日頃、水田の”耕うん”は雑草が大きく成る前に実施し、”水はけ”を良くするために畝(うね)を立てます。
要するに、凹凸を付けるんですね。
それを、田植え前、正確に言うと”代掻き”前に平らに均す作業です。
平すき前
我が家ではこの時に、トラクタに浸けた肥料ホッパに水稲用肥料を満たし、耕うんと同時に肥料蒔きを行います。
肥料
田植え機にホッパを付けて田植えと同時に蒔くという方法もあるみたいですね。
ホッパ
”平すき”完了です。完全にまっ平にはなりませんね。トラクタの耕うんロータリーの刃の向きが問題かも知れません。
完了ですよ
この後、水田の四隅に盛り上がってしまう土を周辺に散らばせて、後は”代掻き”を待つばかりとなるのです。
田植えは6月11日~。
稲作農家においては二つ目のイベントとなります。

PageTop

天満橋へ

(5月27日の日記)
天満橋2
会社のご近所ではあるが、久しぶりに天満橋へ来た。
天満橋1
天満橋は旧淀川である大川べり。
向こうは西天満方面。
八軒屋浜
”八軒屋浜”近辺を散策している。
道の駅
”八軒屋浜”は江戸時代に船着場があった場所で、舟が主な輸送手段であったこの時代、結構栄えていたという。
昔の絵
しかし陸上輸送が発達するに従い、川の港は次第に廃れて行った。
カンバン
1990年代の終わりころ、この川の港や舟運を復活させ、それを観光資源として大阪の活性化を図ろうと、”川の駅”というのが出来た。そのひとつがここ。(実はその昔、この川の駅で事業PRや観光案内をするために光ケーブルの引込み設計などを担当していた)
川べりにはオープンカフェが営業している。
天神橋
案内看板には昔の絵画が掲示されている。
実は自分はこんな絵画が大好きで、発見するとついつい見入ってしまう。先日も会社のある西天満で発見!〈大阪天満宮参道〉
この絵もなかなか興味深い。何気なく描かれた人々の装束などを見ていると興味が尽きない。(結構ストーリーが盛り込まれているのだ!)
向こうに見えているのは天神橋?
天神橋っていつごろからあったのだろう。
実は古い地図に関しても同じように興味がある。
可処分時間が増えたらこんな痕跡を探しながらあちこち散策したいものだと思っている。
(この日は以前いた職場の電気通信設備担当者OB会が近くであったのでこの辺りをうろついていたのでした)

PageTop