
昨日、書斎を整理していたら祖父の手帳を見つけた。

見つけたといっても以前住居のリフォームをするときに祖父の使っていた古い書類入れを発見し、その中にあった手帳をとっておいたのだ。その後行方知れずになっていたのだが、この度、書架の整理をしていた時、その隙間から再発見したという次第。

手帳は小野田セメントのもの。

祖父は満州から帰って来た後、神戸の港湾建設の工事監督をしていたと聞いた事がある。手帳には「灘区灘埠頭 港湾局東部工事事務所」と名前のハンコが押してあった。ここに勤めていたのだろう。

手帳に書かれていたのは「敷島橋」「7〇火 大工1人 現場見」とか、「16日セメント2袋 大工1人、人夫4人、女1人コンクリート打」などと書かれている。

受け持った工事の出面や資材・機材を記録していたのだろう。多い時には24人という日もあった。そのほかには数量の計算なのか、数字が沢山書いてあった。須磨浦や灘埠頭の文字もあるのでそのあたりの工事をしていたようだ。

手帳のカレンダーは昭和32年。自分はまだ生まれていない。物心ついた時には我が家の家庭は結構悲惨で、そこには酒乱の祖父が居た。両親は勤めに出ていて自分は祖母に面倒を見てもらっていたのだが、その祖母からは「お前は大きくなっても酒なぞ飲んではいけない・・・」とよく言われたものであった。しかし、奇しくも似たような仕事に就き、そして大酒飲みなのは血は争えないと言う事か?まあ、酒乱と言うほどは酷くは無いと思っているのだが・・・
話は逸れたが、このような酒乱の祖父も、まじめに働いていたということがうかがえる手帳であった。

見つけたといっても以前住居のリフォームをするときに祖父の使っていた古い書類入れを発見し、その中にあった手帳をとっておいたのだ。その後行方知れずになっていたのだが、この度、書架の整理をしていた時、その隙間から再発見したという次第。

手帳は小野田セメントのもの。

祖父は満州から帰って来た後、神戸の港湾建設の工事監督をしていたと聞いた事がある。手帳には「灘区灘埠頭 港湾局東部工事事務所」と名前のハンコが押してあった。ここに勤めていたのだろう。

手帳に書かれていたのは「敷島橋」「7〇火 大工1人 現場見」とか、「16日セメント2袋 大工1人、人夫4人、女1人コンクリート打」などと書かれている。

受け持った工事の出面や資材・機材を記録していたのだろう。多い時には24人という日もあった。そのほかには数量の計算なのか、数字が沢山書いてあった。須磨浦や灘埠頭の文字もあるのでそのあたりの工事をしていたようだ。

手帳のカレンダーは昭和32年。自分はまだ生まれていない。物心ついた時には我が家の家庭は結構悲惨で、そこには酒乱の祖父が居た。両親は勤めに出ていて自分は祖母に面倒を見てもらっていたのだが、その祖母からは「お前は大きくなっても酒なぞ飲んではいけない・・・」とよく言われたものであった。しかし、奇しくも似たような仕事に就き、そして大酒飲みなのは血は争えないと言う事か?まあ、酒乱と言うほどは酷くは無いと思っているのだが・・・
話は逸れたが、このような酒乱の祖父も、まじめに働いていたということがうかがえる手帳であった。
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