貧乏性というか、節約癖というか、今までに貯めてきた使い切れない休暇がある。あと1ヶ月足らずで、もう今の職場とはさよならなのに。だから特別に予定が入っていない日は休暇を取ることにしている。
今日も、前の日曜日と同じように散歩に出かける・・・と言っても、実は4月第二週から四国に歩き遍路に行こうかと思っているのでその足慣らしも兼ねてなのだが、更には、遅くとも3年後には控えている完全退職後にどのようにして人生を有意義に過ごすかということも合わせて考えようと思って。

午前10時20分、自宅出発、今日のコースは加古川河川敷のマラソンコースを左岸の河口近くまで行き、どこかの橋で対岸に渡り、右岸を遡って水管橋を渡って帰るというコース。まあ3時間コースかなと思っていたのだが・・・

土日は人が結構多いマラソンコースもさすがに平日はまばらです。

ちゃんと42.195キロあるんですね。

もう春の陽気か、高御座山(たかみくらやま)も霞んでいます。

途中色々とありましたが全てとばして、河口から約2キロのところにある山陽電鉄の鉄橋です。

堤防の斜面を見ているとおお、つくしが生えているじゃないですか!結構沢山ありましたがもう枯れかけでした。

加古川の最下流にかかっている相生橋を渡ります。

もう加古川河口はすぐそこです。中学生の頃、よくカレイ釣りに河口近くまで行きましたね。懐かしい。

相生橋を渡り、高砂市に入ると、古い家屋が沢山残っています。日本遺産に認定されている「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」とのことで、山陽電鉄高砂駅から高砂神社までがそのエリアです。

実はそんなことも知らずに、相生橋を渡るとすぐに右岸を上流へ向かおうとしていたのですが、幸運に恵まれました。以前、司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」を読んだ時、その中に出てきていた帆布の開発者、「工楽松右衛門」が高砂出身だって事を知ったのですが、忘れていました。そして、今日、ここで出会ってしまったのです。松右衛門さんの事はまた次の記事で書きますね。

松右衛門さんの銅像がある高砂神社です。とても立派な神社です。ここは古風な結婚式で謡われる謡曲「高砂」の発祥の地であり、またまた古風な風習である結納の品の一つである「尉と姥」という人形の発祥の地とのこと。さらには高砂城というお城もあったようです。

高砂神社から高砂商工会議所や銀座商店街を見つつ、出てきたのはここ。1984年まで運行していた国鉄(だったかJRだったか)高砂線の終点高砂駅跡です。始発駅は加古川駅でした。何度か別府の友人宅へ行く時に乗りました。

恐らく高砂線がまだ現役出会った頃からあったのではないかと思う古風なお風呂やさん。

今だ、高砂線の線路跡は遊歩道として残っています。加古川駅周辺はすでに住宅が建ってしまいましたが。

そしてその線路跡に残してある転轍機。なんて懐かしいものでしょう。夢中で写真を撮っていたので触らずじまいでしたが、次に行った時には触らせてもらおう。

腕木信号もありました。腕木の上下、夜間にはランプのフィルターを切り替えて列車を誘導する信号機です。我が最寄り駅である加古川線日岡駅にもこれがありました。懐かしい。

古い高砂の街並みや、鉄道跡を彷徨っているうちに時間を忘れもう1時半、山陽電鉄高砂駅前のカレーやさん「小夢」で昼食。腹ぺこだったので写真を撮り忘れましたが、とても美味しいビーフカレー、ビーフの固まりがゴロゴロ、独特の香辛料の香り、サラダ、スープ、そして、有機栽培の茹でたメークインをバター付きで!さらにご飯はお代わりも出来、大満足!また訪れる機会があれば来たいお店です。

お昼ご飯を食べたあと、更に高砂線跡を加古川に向かって行きます。この辺りは高砂北駅のあったあたり。今は自転車置き場に成っていますが。

ここには巨大な三菱製紙の工場があります。加古川市も高砂市も沿海部は大きな企業の工場が沢山あります。

今回は近くまで行けなかったけど、旧朝日町浄水場配水塔です。なかなか優雅な姿です。

朝日町の河川敷に戻ってきました。

ここからは、河川を渡る橋梁や構造物を見ながら帰ろうと思います。

ただ、早々に見つけたのは最近流りの危機管理型水位計でした。有効に機能して欲しいものです。

山陽新幹線です。

国道250号線、明姫幹線。

古新堰堤。

案内看板です。インフラの役割はきっちりと説明しなければ分かってもらえないものだと思います。古より今に至るまで、多くの人達が建設や維持管理に努力し、また多額の税金も投入されたこれらの施設、多くの皆様に知っていただかねばと思います。担っているのが農林であっても、国土であっても、県であっても、市町であってもです。

旧の国道2号加古川大橋です。前の東京オリンピックでは聖火ランナーが走りました。

昔から気になっている、この橋脚跡みたいななごり、加古川大橋のすぐ上流にあります。多分ニッケの関連の構造物かなと思うのですが、通常、河川内のこんな構造物の存知というか放置は認められないはず。いったい何なんでしょうね。

JRの加古川鉄橋です。

昨年夏場の出水による堆積物なのでしょうね。支障なければ放置かなと思います。

昔、よく釣りに来た加古川堰堤。ウナギの稚魚、シラスの遡上もここで初めて見ました。

加古川バイパスの橋梁です。

ようやく水管橋に付きました。あと少しで帰着です。

これを渡ればあと少しで自宅だ。今回歩いた距離は17キロと少し。