
(これも7月26日の記事です。)
26日、最後に訪れたのは播磨国分寺跡にほど近い壇場山(だんじょうやま)古墳。

5世紀後半というとまさに古墳時代。

墳墓は北側に矩形、南側に円形が向いており、回りには濠(周濠という)が巡らされた前方後円墳、墳丘の長さは南北に143mと兵庫県下では2番目に大きいものとのこと。おそらく一番は須磨の五色塚か。

案内板にある形を見ると、前方と後円の間に出っ張りがあるので恐らく古墳時代中期のものか?

古墳の上部は樹木が無くて容易に歩ける。

そして後円部の中央には石棺の蓋が露出している。石棺は東西向きに配置されている。石棺の蓋の端部には二つの突起部分が刻まれており、おそらくここに縄をかけて運んだものと思われる。

周濠には水は無く湿地状になっており草が繁茂している。

そしてその回りには多くの民家が建ち並んでいる。

この古墳の存在は随分前から知っていたのだけど、なかなか来る機会が無く、この度(ついでだったが)ようやく見に来る事が出来たのだ。ここは、埋葬者のこじつけ(○○天皇陵とか・・・)や、某省の管理も無いので一般人も立ち入る事が出来る所である。
これだけの墳丘を作るのには随分労力が必要であったことだろうし、濠の土砂と墳墓の土砂のボリウムは拮抗しているのだろうかとか、よほど力のある豪族の墳墓なのだと想像したり、墳丘のうえに立つと色々と想像が出来て興味深いのである。
26日、最後に訪れたのは播磨国分寺跡にほど近い壇場山(だんじょうやま)古墳。

5世紀後半というとまさに古墳時代。

墳墓は北側に矩形、南側に円形が向いており、回りには濠(周濠という)が巡らされた前方後円墳、墳丘の長さは南北に143mと兵庫県下では2番目に大きいものとのこと。おそらく一番は須磨の五色塚か。

案内板にある形を見ると、前方と後円の間に出っ張りがあるので恐らく古墳時代中期のものか?

古墳の上部は樹木が無くて容易に歩ける。

そして後円部の中央には石棺の蓋が露出している。石棺は東西向きに配置されている。石棺の蓋の端部には二つの突起部分が刻まれており、おそらくここに縄をかけて運んだものと思われる。

周濠には水は無く湿地状になっており草が繁茂している。

そしてその回りには多くの民家が建ち並んでいる。

この古墳の存在は随分前から知っていたのだけど、なかなか来る機会が無く、この度(ついでだったが)ようやく見に来る事が出来たのだ。ここは、埋葬者のこじつけ(○○天皇陵とか・・・)や、某省の管理も無いので一般人も立ち入る事が出来る所である。
これだけの墳丘を作るのには随分労力が必要であったことだろうし、濠の土砂と墳墓の土砂のボリウムは拮抗しているのだろうかとか、よほど力のある豪族の墳墓なのだと想像したり、墳丘のうえに立つと色々と想像が出来て興味深いのである。
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