
(すこし前の記事です)
平城宮跡へ行った。東京からの来客案内である。

つい先日オープンした「平城宮いざない館」かつての朱雀門のあったあたりに出来た展示館です。

平城宮跡はかつてより文化庁が延々と発掘調査を続けて来ており、現在もまだ続いている。

かつての大極殿のあったであろう場所は地元の人が松を植え、目印としていたという。

平城京の時代は実は2度あり、発掘調査の結果、第1次、第2次共に当時の建物配置や役割などが明確にされてきている。
いざない館には調査を元に復元された精巧な模型がある。

これは発掘調査の時に出てきた井戸の枠。1300年以上前の木材。

現在、第一次大極殿の跡地には建物が復元されている。

そしてこれから、近畿地方整備局の手によって復元される南門の工事が始まっている。
(余談)
そのむかし、京都の大学で受けた講義”史料講読Ⅱ”だったかの講師に館野(たての)先生がいた。館野先生の専門は木簡であり、講義の中でも多くの木簡を取り上げられ、とても興味深い内容だった。先生はその後、奈良文化財研究所(奈文研)へ就職され、・・・この歳から公務員なんですよ・・・なんて言って居られたが、今はどうしておられるのだろう・・・?平城宮いざない館に展示されている木簡を見た時、ふと昔の事を思い出しました。
平城宮跡へ行った。東京からの来客案内である。

つい先日オープンした「平城宮いざない館」かつての朱雀門のあったあたりに出来た展示館です。

平城宮跡はかつてより文化庁が延々と発掘調査を続けて来ており、現在もまだ続いている。

かつての大極殿のあったであろう場所は地元の人が松を植え、目印としていたという。

平城京の時代は実は2度あり、発掘調査の結果、第1次、第2次共に当時の建物配置や役割などが明確にされてきている。
いざない館には調査を元に復元された精巧な模型がある。

これは発掘調査の時に出てきた井戸の枠。1300年以上前の木材。

現在、第一次大極殿の跡地には建物が復元されている。

そしてこれから、近畿地方整備局の手によって復元される南門の工事が始まっている。
(余談)
そのむかし、京都の大学で受けた講義”史料講読Ⅱ”だったかの講師に館野(たての)先生がいた。館野先生の専門は木簡であり、講義の中でも多くの木簡を取り上げられ、とても興味深い内容だった。先生はその後、奈良文化財研究所(奈文研)へ就職され、・・・この歳から公務員なんですよ・・・なんて言って居られたが、今はどうしておられるのだろう・・・?平城宮いざない館に展示されている木簡を見た時、ふと昔の事を思い出しました。
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