年に一度の防災訓練。関東大震災の記念日をかねて9月1日に全国的に行われている。私の職場では、今年は9月1日が土曜日だったので、9月3日に実施された。悲惨な犠牲が出た大災害、この日を忘れないように記念日として防災訓練をやる。昨年は大変な地震と津波が東北を襲った。”3.11”は忘れられない日である。しかし多分、防災訓練の日は3月11日には変更されないだろうな。予算年度の終わりに近い時期だし。
私、思うんですが、”記念日”休みになる日もあればそうでない日もあるけど、随分疑問がある。わけのわからない”建国記念の日”とか、”天皇誕生日”なんてなぜ休みにする必要があるのか?そりゃ休みが多い方が嬉しいことは確かだが。”昭和の日”も祝日とするには疑問だ。この時代に過去の遺物に捕らわれる必要はない。阪神淡路大震災や東日本大震災のようにもっと忘れてはならない大切な日があるのだから。
ということで、この日、例年のように非常参集訓練が実施された。シナリオは大地震及び津波で道路や鉄道が寸断され、しかたがないので歩いて、もしくは自転車で職場に出勤するという想定であった。しかしながら、兵庫県の西部から、大阪まで歩いて出勤することって本当にあるのだろうか?そうであるならば、恐らく普通に道路が通じていても非常参集訓練は2泊3日くらいかかるのではないかと思う。
人は自分の行動が”何かの役に立っている”と認識できれば、どんな場面でも努力することができるのだが・・・・。その反面無意味な行動をすることほど苦痛なことはない。
前置きが随分長くなってしまったが、その努力しづらい仕事に多少なりとも興味を持たせるべく、今回は昔歩いた小学校までの通学路を歩く事にした。
スタートはもよりのJRの無人駅、何時も通勤で使っている駅だ。

ここは昔、この地域の庄屋だった家の屋敷跡。大きなクスノキがあります。

昔はこんな細い道も結構広く感じたものです。

神社の鳥居があります。ここには鉄工所があり、いつも小学校の帰りに興味津々で溶接している所を見ていたものでした。

こんな祠が私の住んでいる地域には沢山あります。

そしてこんなお堂も。かの民族学者宮本常一さんもその著書に、村人が延々と今後の村の行政について議論する場所。と紹介しており、そして特にこの私たちが住む地域に多いことも紹介されていました。

こんなに細い路地を通って・・・・・

新しく開削された排水路があります。まだ、全部完成していません。

そしてここがわが母校です。大きなクスノキがシンボルです。

私が通学していたのはここまでですが、更に山陽本線の駅に向かって歩きます。

昔は人混みでごった返していたこの細い通り。今は駅裏の再開発により、この斜めに走っていた真っ直ぐな通りは周囲の町並みに合わせて碁盤の目に無理矢理矯正させられています。

周囲は立ち退き跡の空き地と、新しいマンションが段々と建って来ました。

ここが、昔の通りと、新しい碁盤の目との接続点。過去と現在との”境目”です。

そして、ふと振り向くと・・・・そこにはただ寂しく昔の賑わっていた”通り”とわずか数件、民家が残っているだけなのでした。時代の流れを感じさせられるトリップでした。