終戦記念日の前後になると、いつも新聞には先の戦争にかかる記事が多くなる。昨日も、地方紙に隣の市の飛行場のことが出ていると父親が言っていたので新聞を借りて読んでみると・・・・

加古川市の北にある加西市の鶉野(うずらの)と言うところに、旧日本海軍の飛行場があったという。記事はその地下指令所を公開しているとのこと。この日は兵庫県西部方面へ行く予定があったので、その帰りに寄ってみることにした。
現地へ行く前にまず地図で場所確認。地図には飛行場は載っていない。では航空写真で確認してみると・・・・あった!!ありました、滑走路が。最近は国土地理院が各種年代の航空写真をアップしてくれるので昔の状況を調べるのにずいぶん便利になったもんです。さて、くだんの航空写真は・・・・・・・
こちら写真中央に斜めに走っている空き地が滑走路です。
現地はかつての国鉄から第三セクターになった北条鉄道の法華口駅の北東、神戸大学の演習農場の北にありました。

これは滑走路横の誘導路?右側の写真の白いポールの右が滑走路です。

路面はアスファルト舗装されており、それなりに荒れている。現在は自衛隊の訓練場として使用されているようで、看板もあった。文献によると、滑走路は延長1200m、幅60mとのこと。北端から1/3くらいの所で、道路が横断している。この道路を走っていても単に広大な空き地があるとしかおもわないだろうな。しかし、戦後66年もたった現在まで滑走路が満足な使用もされないまま放置されている(ように見えるのだけど・・・)のはなんだかもったいないように思える。周囲は広大な水田なのだ。

滑走路脇には比較的新しい平和祈念碑が建てられていた。
この滑走路は昭和17年に起工され、翌年18年(1943年)に完成、その後昭和20年には敗戦なので、わずか2年くらいしか使われていないことになる。その後66年放置?数年前には播磨空港構想の候補地にもなったということなんだけど、いかんせん交通アクセスは決して良くないし、主要な駅からも遠い。マニアックな興味からこういう史跡を見る興味がある者にとっては面白いのだが、恐らく強制的に排除させられたかつての住民の皆様はどう思っているのか?

さて、滑走路をぐるりと周り、元来た道に戻ろうとした所、偶然に新聞に載っていた地下司令所跡の横に出た。堅固そうなアーチ型の構造物(なんだか非常に粗雑な施工)の写真を撮っていると横から(多分新聞に載っていた)おじさんが出てきたので、内部の見学をさせて欲しい旨お願いすると、気さくに中へ案内してくれた。(事前に連絡もせず、場所も偶然行き当たったのだから、まさか内部まで見られるとは思っていなかった。(ラッキー!))

構造物は半地下で、内部は10畳ほどの部屋がふたつ。入り口が屈曲しているのは爆風を止めるための構造とのこと。この構造物は長い間内部が水に浸かっていたとのことで、床面から1.5m位の位置に浸水の痕跡がある。新聞によると地元の方が消防団の力を借りて排水し、内部を見学できるようにしたとのこと。

内部には鶉野飛行場関係の資料やここで作られていた紫電や紫電改という飛行機の模型や写真、タイヤなどが展示されており、年々か前にNHKが放映していた記録ビデオが流されていた。

二つの部屋の展示物を見学し、地上へ出るもう一つの口を出ると、そこは民家の庭先だった。この周辺にはこのようなコンクリートでつくられた防空壕?がまだ沢山のこっているとのことですが、いずれも民地内、特に神戸大学の演習農場内にあるため、公開はしていないとのことでした。

最後に、加西市教育委員会と神戸大学が共同で作成したりっぱなパンフレットをいただきました。