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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

台風7号による出水の特徴

8月15日に襲来した台風7号、これに起因する出水では曇川樋門の逆流には至らなかった。
5月7日~8日の出水時は県土木より連絡があり、現場に駆けつけてほどなく逆流が始まったのだが、今回との違いについて考察してみた。
水位の推移
 グラフの一番上は加古川大堰下流水位、真ん中は曇川排水機場の内水位、一番下が曇川樋門の内水位である。17時30分以降は三つの水位は同じ傾向を示している。
 いきなり結論であるが、今回は前日14日夕方に台風の襲来を見越して曇川樋門を全開、荒が瀬樋門を全閉としたため、曇川からの流量はすべて樋門より加古川本川に流出していた。このため、加古川大堰が全開にされ、本川水位が上昇するに従い、曇川の流水は本川流水に押され本川水位と同じ傾向で上昇したと思われる。
仮に、荒が瀬樋門が開いておれば、曇川の流量は加古川市内へも流下するため、曇川の水位が低下し、本川からの流入(逆流)が発生したのではないかと考えられる。
以下に観測した数値を示す。
水位記録
 水位上昇は20時から20時30分の当たりでピークを迎え、それ以降は下降していったので、体制は解除となった。今回の排水機場内水位はピークが2.79m(20時00分観測)であり、ポンプ稼働水位(3.01m)までには22センチの余裕があり稼働しなかった。
 もし、このまま本川下流水位が上昇しておれば、逆流しないまでも、排水機場を稼働させなければ曇川上流で浸水が発生しただろう。そして、この浸水を回避するためのポンプ稼働により、曇川の水位が低下するため、その時点で逆流が発生し、樋門を閉めることになったと思う。
 流入支川の本川との接合箇所の樋門は多くの場合、その地点が最流末になるものであるが、ここ曇川に関しては樋門地点より下流側(加古川市内)へ五ヶ井用水路と別府川が流れている。別府川はまだ工事途中であり、本来の放水路としての流量は確保されていないことがあるのと、農業用水路での市内への流下を事前に止めておくことは水防上重要な事であると言える。
そのためには曇川地点の内外水位の確認手段の構築や、電話通報などは非常に重要な事なのである。
国土交通省による早期の整備(もしくは機能復活)を希望するものである。

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台風7号が来た!

(これは昨日の事です)速度が遅く、なかなか上陸場所の予想が難しそうだった台風7号が来た。
台風7号
昨日(14日)は午後から休暇を取り帰宅、17時より日頃お守りをしている曇川樋門を全開に、そして加古川市内を灌漑する荒ヶ瀬樋門4門を全閉にしておいたのだ。
本川
台風は15日午前5時に紀伊半島に上陸し、こちらの方も激しい風雨でした。
紀伊半島を抜け、明石付近に再上陸したのはごご1時頃。このころは台風の目の中で、降雨も無くなり、ほとんど無風状態。
その後、夕方近くになって再び風雨が激しくなってきました。
15日は日頃通勤に使っている電車もほとんど運休のため休暇を取り、朝から、加古川大堰の操作状況や曇川の水位の状況をみていたのでしたが、夕方5時頃、もうぼちぼち曇川樋門が逆流するころだsと予想し、樋門へ出動したのでした。
樋門の加古川本川側は結構水位が上がっていました。
日頃は
これが日頃の樋門の状態ですので、比較してみると水位上昇がわかると思います。
逆流?
樋門の内外水位はほとんど同じ数値で徐々に上昇しています。
流向計が無いので目視で流向を確認しているのですが、時々ゲートを全閉にして内外の水位差が出るかどうか確認をします。
流れが見えない
今回も2度ほど全閉にしましたが、水位差7~8センチで内外水位が同時に上昇しています。
加古川大堰は16時50分に全開しているので、台風が加古川上流に降らせた雨が出てきているのでしょう、徐々に大堰を通過する流量が増えています。
しかしながら、流入支川である曇川も徐々に水位が上がっているのですよ。
結局この日は樋門操作水位は超えたのですが逆流に至らなかったということで、樋門の全閉、そして排水機場の稼働はありませんでした。
これは幸いな事ではあるのですが、加古川本川と曇川、どちらも同じ状況で水位上昇しているところがあまり理解できないのです。
この状況をこれから考えてみたいと思っている所です。

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早朝樋門操作と樋門点検更に草引き

昨夜からの雨で本日早朝、曇川の水位が排水機場を稼働させなければならない所まで上昇した。
午前5時前に兵庫県の電話通報装置が水位上昇を自動通報してきた。
その後、県土木の職員からも電話がかかって来た。
290cm.jpg
5月7日の伊丹市の天神川越水以降、兵庫県は少々浸水に気を遣っているようだが、今回の電話は、いつもとは違う方からの電話で、自分の立ち位置がわかっていないのか、自分たちの指示で操作員が動いていると思っているような口調だった。(思わず排水機場のポンプは稼働準備が出来ているのでしょうねと聞きたかった)
全開放流
朝5時過ぎに樋門へ行くとすでにSさんが全開放流の操作をされていた。
高田橋水位
今回も曇川からの流出はかなり多そうです。
現時点の曇川樋門の管理水位は1.5mなのですが、20センチほど高かったですね。
曇川樋門を管理する上での現在の最大の懸案は曇川樋門地点の内外水位がどこに居ても知ることが出来る手立てを講じる事。(これは国土交通省の担当)
そして、曇川から流下してくる水の量を知る手立てを講じること。(これは兵庫県の担当)・・・でしょうね。
荒ヶ瀬逆流
樋門を全開にすると、荒ヶ瀬樋門から逆流してくる水の量も結構あります。
とりあえずこれで曇川の水はすべて加古川本川に流れるようになりました。
草引き前
今回は月に2回行う樋門点検の7月1回目を実施しました。さらに、内水側の改修記念碑の草引きをしようと以前から操作員内で相談していたため、4人で草抜きを実施しました。
草引き1
防草シートの上に砕石を敷いてあるのですが、その砕石に雑草が根をおろしています。
草引き2
雨が多いので雑草の成長もとても早いですね。
草引き完了
4人で小一時間、とてもスッキリしました。

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ため池関係の資料をもらった

(これは4月2日の記事です)
新年度に入り、なかなか毎日ブログが書けない状況が続いています。
また以前のように週末にまとめ書き?というような”夏休み絵日記”みたいになるかも知れません💦
ため池資料1
曇川川岸のサクラを見に行った時、叔母よりため池関係の資料を貰った。
ため池資料2
叔父さんが”いなみ野ため池ミュージーアム”関係の活動をしていた時の物とのこと。
兵庫のため池
昨年末、訪れた時叔母が話していた資料だ。
ため池文化の伝承
大半はパンフレット類なのだが、こんなレポート集もある。
レポート集
これから楽しみながら見ていきたい。

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古い図面発見!

今日は樋門点検の日でした。いつものように樋門ゲートの稼働、予備発電機の試験運転、照明灯の点検、量水板の清掃などを実施し、現地にある五ヶ井土地改良区の詰所の修繕内容を検討するべく、室内を見ていたところ、古い図面箱を発見しました!
箱
明治37年調整「五ヶ井郷用水路総図面」という40センチ×60センチほどの木箱です。厚みは約5センチ。
後ろが郷の川図
中には3枚の和紙製の図面が入っていました。
中央の人の後ろに広げてあるのが、最上流の五ヶ井堰から曇川樋門までの”郷の川”部分の図です。
上流の図
そしてこれが上流部分。畳2畳分くらいの大きさ。
下流の図
そしてこれが下流部分。こちらは畳4.5畳分ほどの大きなものです。
五ヶ井堰と吞口
細部を見てみると、まずこちらが五ヶ井堰と吞口。右下の方には余水吐けのような部分もあります。
平松樋門
そしてこちらが平松樋門。図面左上には恐らく草谷川の合流。中央の樋門の左側にはこちらも余水吐け。そして4門の樋門の右側(下流)には上側に新井、下側に五ヶ井の用水路が描かれています。
図面には村堺や水路延長が書き込まれています。
曇川と荒ヶ瀬樋門
こちらは五ヶ井用水路(郷の川)の最流末にある曇川樋門(図面上側)と荒ヶ瀬水路の分岐部が描かれています。現在は4つの水路がありますが、この当時は水路は3つでそのうちの一つが少し下流で二つに分岐していました。
詳細2
図面の詳細を見てみましょう、こちらは五ヶ井の最下流付近、南備後村等、地先名や水路の分岐・集合などの姿が分かります。
水路幅も当時の状況を現しているのでしょう、広がったり狭まったりしています。また、赤線で県道が記載されています。
図面詳細1
構造物や水路には色が入っています。水路を渡る橋には名称が、そして分水箇所から主要なポイントまでの水路長が記載されています。一番端には鉄道も表されていました。
当時の関係者
最後に、3枚の図面の内、上流部の水路図の中に凡例と、調整された年月(明治35年12月)、図面名称「播磨国加古郡字五箇井堰普通水利組合関係地図」の記載、そして「当時の役員の名前、測量及び製図者の名前が記載されています。
管理者は氷丘村長、そしてこの時代から上流部に位置する大野村と中津村の総代は”定当番”として任命されていたようです。
とても興味深く、また、こんなに古い地図を見ることが出来たことは本当に僥倖に感じているのです。(ちょっとマニアックすぎるかも知れませんが💦)
本地図は”虫食い”も少なく、比較的保管状態は良いのだが、詰所の改修が予定されており、このままだと保管上の問題もあるので、五ヶ井土地改良区の事務所へ持って行ってもらいました。

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