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2台のクーペと”四方山果無(よもやまはてなし)”World

ついでに日岡山散歩

日岡神社へ行ったついでに久しぶりに日岡山に登ってきた。
石畳
以前にも書いたかも知れないけど、こんな石畳の道を登って行きます。
落ち葉
道の両側には落ち葉が。
山道
日岡山にある古墳を過ぎるとやがてこんな山道が。
石仏群
途中、常楽寺の裏には多くの石仏や・・・
層塔
相当古い層塔などもあります。
風景
頂上には体育館があり、その屋上からは加古川の街並みが見晴らせます。
明石海峡大橋
遠くには明石海峡大橋の主塔もうっすらと見えています。
平荘湖
北側には加古川から取水し、水を溜めている工業用水ダムの平荘湖があります。堰堤の斜面には沢山の太陽光発電パネルが、何時出来たのでしょうね?
別府川護岸整備工事
山を下りてきてこちらは現在開削中の別府川放水路。兵庫県の事業です。これが完成すれば我が家の水田や畑も台風が来ても水没しなくなるはず。
未だに人口が増えている地域、段々と水田が宅地化され家が増えています。少子高齢化のこの時代に人口が増えているのはある意味ありがたい事なのでしょうね。

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散歩がてらに初詣へ

決して信心深い訳では無いのだけど、散歩がてらに近所の神社へ・・・
長蛇の列
多くの方が初詣に来られていて長蛇の列!安産の神さんは商売繁盛のようです。
お面やさん
懐かしいお面屋さんが出ていた。他にもたこ焼き、カステラ、ケバブ?その他、お店が来ている。
少し近づいた
列はなかなか進みません。
巨大絵馬
今年は猪年、毎年更新される巨大絵馬には沢山の猪が。子沢山は神社にとっては商売繁盛ですものね。
だいぶ近づいた
だいぶ近づいて来ました。ここまでで約40分!
ようやく前まで
ようやく前まで来ました。信心深くないからお願い事を言うのも気が引けるけど、とりあえず賽銭の分だけはお願いしておいた。
境内より
参拝の後、神社の本殿の裏を回り、本殿側から境内を見る。結構広大な神社です。子供の頃には夏休みにはよくセミ取りに来た思い出がありますね。昔から変わらない風景が残っていると言うことは、ある意味安心感があります。

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気になる建物

別にどうって事無いことなのですが、
以前から気になっている建物があります。
広い画面
加古川市八幡町にある建物で、加古川の堤防からよく見えます。
建物の拡大
もうかなり老朽化していて、今は使用されていないようで朽ちて行っているようです。
木造2階建ての長屋風、スレート屋根。1階は側面が全てガラス窓、二階は低く、窓の無い構造。
恐らく工場ではないかとおもうのですが、さて、何をしていた建物なのでしょうね?

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盆踊り

町内会の盆踊り、電気工事を仰せつかって2年目。
1常楽寺境内
当日8月11日は早朝より近所のお寺で会場の設営。
2分電盤
立派な分電盤は私の父親が再就職した電気工事やさんでみんな一緒に作ったものだ・・・と当時一緒に仕事をされていたHさんが言っていた。
3準備完了
2時間ほどで準備は完了。役員総勢約40名。皆さん暑い中お疲れさまです。
4町内会長
最後に町内会長よりご挨拶。今晩は楽しみましょう!
おどり
夜7時より盆踊りスタート。まだ少々少ない。
スーパーボールすくい
子供達はスーパーボールすくいに夢中です。
焼きそば
焼きそばやさんは長蛇の列で大繁盛。
やきとり
焼鳥屋さんも4人かかりで焼いています。でも、参加者は年々減っているとのことで、毎年、来年はどうしよう?という話が出ているようです。年輩のおばさま(おばあさま?)達はとても踊りがうまく、実は公民館でも練習会をやっているようだけど、皆さん忙しくて?かどうか分からないけど参加しない。(自分も苦手なので行かないのですが・・・)櫓のまわりを回っているのはベテランのおばさま達と小さな子供くらいですね。
 そういえば昔、大阪の柏原で仕事していた時、柏原市役所前の大和川河川敷で毎年「河内音頭盆踊り大会」というのが開催されていた。河内音頭を得意とする演歌歌手だったかお笑いの人だったかが河内音頭を歌い、とても多くの人が踊っていた。私の職場は協賛者だったのか、昼休みに会議室で練習させられ、レンタルゆかたを着て踊りに行った事がある。その時はそれなりに楽しかったのだが、踊りというのは”はまれば”楽しいんだろうと思うけど、なんだか恥ずかしさが先にたち、なかなか踊れないのですよ。

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壇場山古墳

(これも7月26日の記事です。)
26日、最後に訪れたのは播磨国分寺跡にほど近い壇場山(だんじょうやま)古墳。
1石碑
5世紀後半というとまさに古墳時代。
2看板
墳墓は北側に矩形、南側に円形が向いており、回りには濠(周濠という)が巡らされた前方後円墳、墳丘の長さは南北に143mと兵庫県下では2番目に大きいものとのこと。おそらく一番は須磨の五色塚か。
3全体の形
案内板にある形を見ると、前方と後円の間に出っ張りがあるので恐らく古墳時代中期のものか?
4天端
古墳の上部は樹木が無くて容易に歩ける。
5石棺
そして後円部の中央には石棺の蓋が露出している。石棺は東西向きに配置されている。石棺の蓋の端部には二つの突起部分が刻まれており、おそらくここに縄をかけて運んだものと思われる。
6周濠1
周濠には水は無く湿地状になっており草が繁茂している。
7周濠2
そしてその回りには多くの民家が建ち並んでいる。
8隣接地から
この古墳の存在は随分前から知っていたのだけど、なかなか来る機会が無く、この度(ついでだったが)ようやく見に来る事が出来たのだ。ここは、埋葬者のこじつけ(○○天皇陵とか・・・)や、某省の管理も無いので一般人も立ち入る事が出来る所である。
これだけの墳丘を作るのには随分労力が必要であったことだろうし、濠の土砂と墳墓の土砂のボリウムは拮抗しているのだろうかとか、よほど力のある豪族の墳墓なのだと想像したり、墳丘のうえに立つと色々と想像が出来て興味深いのである。

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